• 2017_07
  • <<
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • 31
  • >>
  • 2017_09

桜舞

            Bako・・・可愛い孫たちが付けてくれた愛称。 ちなみに孫たちは[Bakoちゃん]と呼ぶ。  雅号は「水絵」!!風の吹くまま気の向くままに―

スポンサーサイト

  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

走れない運動会

  1. 2007/11/10(土) 15:34:55|
  2. ■Bakoの事
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:13
『障害者と健常者の浜っこミニ運動会』

その日、会長とベテランAさんが行けなくなって私と去年からどんぐりに入会した新人のトシちゃん(下っ端の二人)がボランティアとして浜っこミニ運動会に参加することになった。

私の思惑違い・・浜っこ=子供だと思いこんでいた。
会場に行ってみると98%がしっかり成人以上(中高年)
障害者=視覚障害者だと思ったこと。
知的・身体障害者のすべてであった。

20071110102224.jpg



要領の分からぬ 私達二人は借りられて来た猫ならぬ白日の下にほっくり出されたもぐら同様、オタオタ・ウロウロ。
市長・市会議長の簡単な挨拶の後、運動会が始まった。
手話通訳つきである。
運動会にはつき物の賑やかな音楽なし。
先ず競技の前に

『絶対 走らない事!!』

アトランダムに名前を呼ばれ障害者と二人一組での競技をする。
先ず最初に組んだのは40代後半と思しき体格の良いボリュームのある女性との借り物競走。
私がリードする側なのに
「走らないで―」
「走らないで―」

の声に
「競歩で行きましょう」
と云うとスゴイ勢いで歩き出した。
腕を組んだ私は押され引っ張られ軌道修正出来ずとんでもないほうに連れて行かれるはめに・・・

やっと紙を拾ったら何も書いてない。
点字なのだ。
「点字読めます?」
「読めません」

視覚障害者ではなかった。

さいころ競技では1~6までの手話を覚え臨んだが、私のつたない手話より見た方が早い―だよネ・・
横に、時折奇声を発して飛び上がる重量級の男の子(と云っても20代)がいて、その声の度に私の方がヒクッヒクッ!!

20071110121212.jpg


20071110130444.jpg


ジャンケンをして勝つまで次へ進めない競技。
これがぁタイミングが合わない。
普通はなんでもない―って思うでしょう・・・

20071110131713.jpg

自由気ままに玉入れの玉で遊ぶ人もいる。

20071110131557.jpg


魚釣り競技。
健常者がルール確認で一度やって見る。
磁石でかね部分にくっつけるか、かねの輪に釣り針を引っかけるか・・・
なぁ~て事なく一発でクリア。
次は障害者をサポートして

20071110131635.jpg


S58年生まれと云うこの子?
私が近くに磁石を落とし

「引いて・・こっちに引いて」

「引いて・・手前に引いて」
幾度云っても上に引き上げてしまう。

帰ってJikoに話すと
「ここらの子やったら ひこずって 云うたらわかるんやった・・・」

最後の玉入れにいたっては玉を集めて抱え込む人ありそれこそめくらめっぽう投げつける人ありで玉が上からではなく横から飛んで来る。
玉の飛来を除けながら拾って渡すとそのまま投げ返す・・・
「キャッチボールやないんよ。
上の籠・・上に投げて・・」

ボランティアの人数が少なかったため15競技のうち10競技参加。
朝の9時から午後3時まで・・・
なにはともあれ貴重な体験の一日であった。
ほんとうに主催者のみなさんご苦労様でした。

本音“つかれぇたぁ~”心身共に―

神の手

  1. 2007/12/09(日) 22:59:12|
  2. ■Bakoの事
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:13
 幸せがありますように

コレすごくナイ

願いが叶うという沖縄に出た神の手の雲。

20071209224900.jpg


東京の チャッピー からのメール。

―お正月には帰るけん~元気でな―
具合の悪い時も
―大丈夫? お正月には会いに行くけん~生きとってな―

結願を終えて高野山にお詣りして

『もう死んでも良いわ・・』
と云う私のメールに

Tochiのメールは

―とりあえず年内持ちこたえてや!!(笑)
死なれても困るし次は2周目頑張って♪―

私はとうとう在学中Tochiのフィールドでの勇姿を見ることができなかったが・・・
娘は初めて最終戦の我が子の試合を応援すべく急遽大阪へ駆けつけた。
あの 怪我から 4ヶ月見事復帰しスタメンでフル出場して活躍したTochiの勇姿。

『神の手』が私に届けてくれた元気の素。

tosi.jpg


20071210000815.jpg


大丈夫!

まだまだ私もaggressiveに元気で越冬するよ  






この一年を振り返って・・・

  1. 2007/12/29(土) 09:49:05|
  2. ■Bakoの事
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:9
今年は私にとって大きな節目となった一年である。
7月に[ 鬼の霍乱 ]をおこし仕事をやめた。

自由の身になったのだ!

来年に予定していた『結願』『高野山』もひょんなことから11月中に達成。
(来年落ち着いたらおいおいUPしていこうと思っている)

Tochi・Cyaoの怪我もあったが大したことはなく家族全員無事に越年出来そうだ。
残念だったのは在学中にTochiのユニホーム姿を見ることが出来なかった事。
恒例の旅行会での「みちのく紀行」
どんぐりの遠足「神戸のルミナリエ」
いずれも体調が今いちで不参加。

やっぱり昔っから“古稀”といわれる年齢になるとどっかこっか不具合が出るものだ。
まぁ~そうさな。
70年間部品も代えずoverhaulもせず使い続ければ磨り減ったり故障もするわ。
“気”ばかりは若くても確実に体は年くっていることを思い知らされる。
で―自覚すれば良いのだが・・・
今更ローライズはいて臍ピアスしたいと云うことではない。
いや、あながちそうとも言い切れないか。
それくらいギャップがあるかも・・・
なにさま自覚がからっきしないのである。

♪千の風~♪どこ吹く風?
そのうち

『卒寿を迎えましたヨボヨボ
ブログ書いてたりして・・
(そんときゃ拍手    )


今年の私の漢字一文字

            [ 闘 ]

病魔と闘い巡礼の坂道、石段・音声訳上級・PCとの日々闘いだった。
病魔には苦戦の末勝ちはしたが、寄る年並みいつ夜討ち朝駆けされるやも知れずゆめゆめ油断の無いよう警戒している。

[ にわぜんきゅう ]さんの『般若心経』の真髄

20071228142332.jpg


お釈迦様の教えを自分の都合の良いように解釈して来年もアグレッシブに生きていこう。

20071228144228.jpg



“みなさま:良いお年をお迎え下さい”

美空ひばり

  1. 2008/01/14(月) 15:35:41|
  2. ■Bakoの事
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:16
13日、お昼過ぎ和ちゃんから
「急に行けなくなったので・・・」
と『美空ひばりフイルムコンサート』のチケット二枚。

20080114152047.jpg


心当たりのバーバラ2・3人に電話してみるがみんなすでに購入済み。
もったいないから
「テレビと同じじゃろ―」
と気の進まないJikoに
「入場してつまらんかったら帰れば良い」
強引に連れて行った。

会場は「ゆめみかん」

20080114152452.jpg


99%がバーバラ。
「Jiko 大奥じゃん!」
「・・・・・・」
平均年齢60代~いや70代?
後ろから見るのに白髪・もしくは薄い・又は毛糸の帽子。
色とりどりといっても灰色・茶色・黒の帽子。
私のちょうど前のバーバラ今時のヘヤーピースではなくひと昔前のかつら。
止める地毛が少なくたくさんのピンで留めてあるのだが土台を無視してかつらだけがピョコピョコゆれる。
ピーンと弾きたくなる衝動を抑えるのに必死。
一張羅のちんちべべ(外出着)なのだろうナフタリンとサロンパスの匂いの充満した会場。
みごとに赤やピンクや華やいだ色彩は皆無。

scan.jpg


『美空ひばり』はさすがだった。
2時間半にわたり50曲。
聞かせた~酔わせた。
同世代の私にはその時々の時代・事柄を思い起こさせてくれる。
私同様、同世代を生きたバーバラ達は時には口ずさみ・拍手をして感激の波が会場いっぱいに広がって行く。
「ひばりちゃんっ!」
「日本いちっ!」
大向こうから声を掛けたいであろう雰囲気が・・・

映画の部では水戸光子・山田五十鈴・佐分利信・市川右太衛門・柳家金語楼等々懐かしい名前が・・
その都度
「あ~ぁ!」
「そう!そう!」
溜息と共に頷いているバーバラ達。

戦後のまだ私達がもんぺ姿だった頃地獄めぐりに来て“鬼山地獄”で見たひばりちゃん。
目にも鮮やかなひまわり柄のフレヤァースカートを穿きビニールのバッグを持っていた事。
それ以来、ひまわり柄のフレヤァースカートは私の憧れだった。
その頃、私達は“きぐち”と云う持ち手が木製で袋部分は布製の袋が主流だった。
テレビなど無い時代ラジオから流れるひばりちゃんの歌に聴き惚れひばりちゃんの新曲を歌える友達は人気者だった。

ひばりちゃんが「小林旭」と噂の有った頃“八幡浜劇場”にひばりちゃんが実演で来ていて裏道に当たる家の前を小林旭が通って劇場の裏口から入った事。

懐かしい曲であの日・あの時が瞬時によみがえる。
どっぷりひばりワールドにつかったあっと云う間の2時間半だった。



放屁事件簿

  1. 2008/01/26(土) 12:23:29|
  2. ■Bakoの事
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:18
Jikoと結婚して早、半世紀の時が過ぎ去ろうとしている。
山あり谷ありと一言ですむべきもない険しい峰であり急流逆巻く渓谷であった。

大体別府弁は荒く汚いと良く叱られた。
共通語で
「どうしたのですか?もう一度云って見なさい」
伊予弁(特に南予は柔らかいと云うかのんびり)
「どがいしたがなら?もういっぺん云うてみなはい」
別府弁
「どげぇか?まいっぺん云うちみ」
3分の1の時間で終わる。
それに私は声が大きいので常にケンカしているように聞こえたかも知れない
勿論ケンカもよくした。
犬も食わないケンカの種は足の踏み場もないほど散らばっていた。
大立ち回りやくんずほぐれつはやらない。
あっ!実力行使一度あった。
ご飯時のちゃぶ台ひっくりかえし・・・
(気持ち良かったな・カイカ~ン!!ってヤツ)
Jikoは柔道・空手やってて体格は雲泥の差。
最初から負けるとわかった勝負をするほどバカではない。
捕まらない距離をおいて目から下は全部、口状態でまくしたてる。
植民地育ちだから

「てめぇ!」「われ!」「おンどれ!」

云いたい放題、噛み付いて気の短いJikoの瞬間湯沸かし器の熱湯が噴射するまえに撤退。
間に合わなくて逃げながら子供を楯に吠えることもしばしば!
娘が云う。
「ケンカしていた記憶しかないわ」
「どうして母ちゃんは父ちゃんと結婚したん?」

“魔がさした 

価値観・嗜好・趣味すべて合致点なし。
Jikoはサッカー・ボーリング・ソフト・ゴルフ・投げ釣り
私はスポーツオンチ。

昔っから今流行の『KY』の最たるものだし・・・
もともと天然だから認知症になってもその端境期がわからんやろう。
私にとって今なお『UMA』
(形態は似てるけどウマと読まないで)
今だもって思考・生態・行動、理解解明不可能。

まぁ50年近くも一緒にいれば多少のことは我慢もするし諦めもする。
わかろうとする努力も限界・エネルギーもない。
ほどほどのことは容認せざるをえないが、ただ一つ許せないのが放屁オナラである。
所かまわずどこでも「Buo~」
私が厭がるのを承知の上で私の方にお尻をむけて「Buo~」
やめてや!んもう~」ぎゃぁぎゃぁ怒るのに・・「Buo~」



昨夜もわざわざ横に来て
「Buo~」

しばらく間をおいて
包丁研いどけや
静かに低い声で云った。
「・・・・・・・・?」
「切れ味が悪かったら痛かろうもん。
すぱっと寝首が切れるよう、よう研いどけよ!」

その時の返しが
「その前に、お前を金束子でこすってやる!」
(はぁぁぁ?・・・・予測不可能。
なんだぁ?金束子?)
「全身きれいにこすって赤裸に剥いてやる」
(身ぐるみ剥いで・・とか、着物脱がして丸裸は知っているが、因幡の白兎にされるとは・・・)
(几帳面なJikoの事だから耳も残さず剥くやろな)

―がまの蒲どっか有ったかな!
寝首かく前にがまの蒲確保せな―

でもこれで裁判になったら
「被告人の動機は放屁で・・・」
厳めしい顔で裁判官は云うのかな!

明治時代、岡蒸気の車中で放屁すると罰金を科せられたと云うから意外と裁判は普通に行われるんやろうか・・

一週間このブログの更新がない場合は赤裸でがまの蒲にくるまって泣いているかお縄になって放屁裁判の日を待っているか―


坊っちゃん!

  1. 2008/01/30(水) 23:08:21|
  2. ■Bakoの事
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:14
どんぐりの先輩に誘われて初めて“ミュージカル”を観た。
平成18年東温市見奈良にオープンした「西日本初の地域拠点劇場」の『坊っちゃん劇場』
オープン第一弾作品がミュージカル『坊っちゃん!』
地方公演で八幡浜市民会館大ホール。
行ってみると超満員でどんぐりはじめ知った顔がそこかしこ・・
自由席だったが中央の前の方の良い席を確保していてくれた。

ジェームス三木脚本・演出。

scan.jpg


 オヤジ譲りの 無鉄砲
こどものときから 損ばかり 

面白かった!
楽しかった!
そして感動した!

幕間の無いぶっ通しの1時間半。
伊予弁も完璧だし、抱腹絶倒、時にはほろりとさせ・・・
「せんせー バッタとちがうぞなもし」

なんてったって歌が上手い(当たり前だろうが)
また、ばあや役のおキヨが良い味出してる。
客席が一体になって手拍子をとり・・溜息をつき・・爆笑!

ミュージカルってこんなに楽しいんだ!
この田舎ではそうそう機会もないだろうが次もくれば是非観たいと思った。

scan1.jpg


第二弾ミュージカルコメディ♪『吾が輩は狸である』♪
が劇場では絶賛上演中とか・・・

第三弾が『龍馬』
すべての道は龍馬(ローマ)に通ず!?
2008年3月22日初演。

scan2.jpg


終わって出ると出演者がみんなと握手していた。
私は『山嵐』『坊っちゃん』と握手した。
急いで携帯取り出すとポーズしてくれたんだけど―

KC280025.jpg

坊っちゃん役の三重野葵さん

節分の夜

  1. 2008/02/04(月) 14:34:38|
  2. ■Bakoの事
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:12
鰯の頭を柊が無かったので
(おんなじ棘があるからこれでもよかっぺ)
柚の木の枝に突き刺して
 
 『鬼は~外
      『福は~内


玄関から蜜柑山へ・・・

『鬼は~外
      『福は~内


裏戸を開けて密柑山へ・・・

孫が大きくなってからは豆まきなどしなくなっていたし、うちには鬼より怖い××が居るし・・・
家んなかに小鬼の一匹や二匹いるのも面白いかも~と思っていたのだが静さんが豆を呉れたので何十年ぶりかの豆まきをした。

その夜!
寝静まった夜半。
みぞれまじりの雨の音にまじって~
“トン・トン”
“トン・トン”
表の戸を叩くちぃさい音!

土間におりてつっかい棒をのけガタピシッ木の引き戸を開けて見るとおりからの雪まじりの雨の中・・・
防寒着も着ず薄いセーターにGパン姿で濡れた髪の毛を顔にへばりつけてうつむいた娘が立っていた。

「Mちゃん!どしたん!?」
(鬼と間違えて叩き出されたか?)

「はよ入り~寒かったろう!」
冷たく冷え切った娘を抱きかかえ暖かい私の布団の中へ入れ自分より大きな娘の体をハグ・ハグしながら事情を聞く。
娘が云うには
この春から大学に進学する末っ子Cyaoに持たせるデジカメ・PCの事でBossと言い争いになったと云う。
「画素数ナンタラ―ハードディスク?メガバイトナンタラ―・・・」
私には当然理解不可能!
機種について意見の相違が有ったらしいことは分かったが・・
「まぁ今夜はひやいし寝たら良い」
娘は結婚以来お産で帰った他、家で泊まったことが無い。
車で7・8分と云う近場のせいもあるが~

以前、喧嘩しておん出されたBossが家に来て泊まり
「なんでよ!ここは私の実家やん」
と娘が怒ったことはあるが娘がかって泊まったためしはない。

娘はぺろぺろ(ちぃさい時のニックネームはペロちゃん)としゃべるだけしゃべるとバイクに乗って暗いみぞれの中を走り去った。

『Mちゃ~ん  』


叫んだとたん目が覚めた。

鬼が見せた夢か?
福が見せた夢か?

あ~ぁ!
娘が生まれたのもこんな粉雪の舞う寒い日だったなぁ・・
まもなく40数回目の誕生日を迎える。

※家の玄関はノブの付いた普通のドアで一応ピンポンもついている。
多分昼間読んだ“モチモチの木”のシチエーションが残っていたのだろう。

「風の道」

  1. 2008/02/08(金) 12:59:35|
  2. ■Bakoの事
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:14
音声訳を始めてはや三年になる。
国語の先生を定年までしていたOさんに

KC280024.jpg


読むように勧められ―

その後

KC280027.jpg


自費出版の歌集の音声訳。
八幡浜に住む昭和6年生まれの女流歌人。
(まぁ短歌なら―どうにかなるか)
あまかった!

600余首で10首2分としても2時間あまり・・・
おまけに歌の漢字の読み方は作者それぞれ
『誰』=「た」「たれ」「だれ」
字余りでも「だれ」と読ませたり・・・


コピーを持ってご本人にルビを打ってもらう。
ところが
「てふ」=ちょう
「やうに」=ように

50代のTちゃんは悪戦苦闘。
ひらがなにもふりがなをつける始末。

又「金剛佛の目なじりあげて・・」
「まなじり」=「めなじり」とふりがな。
石室=「せきしつ」「いしむろ」には「せきむろ」とふりがな。

まあ時代も時代だろうが「死」を題材にした歌が過半数。

母の死・父の死・伯母の死・戦死した甥・友の死・知人の死・
骸・屍・墓・奥津城・パーキンソンの妹等々・・・

読み進むうちだんだん沈んでいく三人・・・

間にイナバウアーや孫が「プータロウになるかも・・」などと出てくるとほっとする。
孫が結婚し曾孫が出来たが幼いうちから保育所に預けられる―他人手に育つ曾孫をいとしんでいる。

視覚障害者の方達はほんとうに聞きたいのだろうか・・・暗く思いテーマだよ。
300首くらいに抜粋しょうと話合う。

最初と最後に『喜多郎のシルクロードより朝もや』を流して綺麗にまとめたいと思っているが、果たして作者は不本意かも!?

『死』をテーマにすることにポリシーがあったとか・・



花まつり

  1. 2008/04/09(水) 15:55:44|
  2. ■Bakoの事
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:14
[ 花まつり ]をしていると云うので散歩のコースを代えて“常昌寺”に行って見た。

KC280047.jpg


昨年の4月8日は“明石寺”でお釈迦様に甘茶をかけてころばしたが、どっこもお釈迦様はちぃさいのだろうか!
KC280049.jpg


お参りに来る人はみんなペットボトルや水筒を持参で“甘茶”を頂いて帰る。
私は何も持って無かったのでその場で飲んだ。
“甘茶”は大きなお釜に薪で煎じられていた。

KC280052.jpg


ほんのり甘くちょっと漢方薬っぽい香りがした。
湧かしてるジージラに聞くと
「なんでもアジサイの一種と云わい!」
と煙にむせながら答えてくれた。

KC280051.jpg


境内の桜は満開で―KC280056.jpg


風が吹く度に花びらが舞う・・・・・・
さくら吹雪に叫声をあげて花びらの中を走り廻る私を田舎のジージラはしらっ―と見ている。
そばにいたジージラをつかまえて
「なっ!ほらっ!きれいやろ!!・・・」
「スゴイ!すごい!なっ?なっ?」

あまり感激した様子もなく、仕方なさそうに空を見あげて
「ふぅん」気のない返事。

帰ろうとしていると相変わらずリュックを肩にした トシエさんとミツエさん が来た。
前回のバーバラ会、私は欠席していたので―
「おとどしかったなぁ(ひさしぶり)」
とまたまた大話ひっころばしたのである。
二人とも水筒を持って来ていた。

お寺さんに小さな袋を頂いた。
トシエさんが
「あ~これな・・・5杯ぐらい飲めるがよ」
ミツエさんは
「かいらしい花が長い間咲くがぜ・・・」
(・・・・?)

KC280059.jpg


“甘茶”のティパックとポピーの種・天竺菩提樹の葉の葉脈が入っていた。
二人とも正解であった。

「風の道抄」その後

  1. 2008/04/27(日) 16:26:44|
  2. ■Bakoの事
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:12
音声訳の「風の道」を聞いた著者ご本人から「コピーを一枚下さい」
との依頼をOさんが受けて来た。
と・・・と・・・とんでもない!
あんなぐだぐだのCDをお渡しすることは出来ない。
断固、反対!
差し上げるからには一から録音しなおしてプレストトークで無くて普通に聞けるCDに仕上げたい。
歌も著者自身に選んで貰おうと言うことになった。

後日著者自身の選ばれた歌が
  『詠はねばわが手震うと思ふまで三十一文字にいのち凭るる』
「歌は私の生きの証です」
と届いた。

Tちゃんが「短歌を読むのが得意な先輩がいる」
とMさんを助っ人に連れてきて4人で読むことになった。
読み合わせも丹念に―
OさんMさんのダメだし強烈。
アクセント辞書片手に一語一句訂正される。
体育系並の先輩・後輩の差が厳しい世界である。
先輩はそれだけ実力も実績もあるので三年目の私などまだまだ新人である。
私の後に入ったのはTちゃんひとり。
20人ほどいたのだが初級からメカへと進む段階で退会していき残ったのはTちゃんだけ。

一週間の練習期間の後録音。
先輩の指示どおり自分の持ち場は暗記するほど練習した。
録音前日。
Mさんへ電話で泣きついた。
「誤読やとんでもないアクセントはもちろん結構ですが、歌人は地元の方なんやけん多少の南予訛りは大目にみるようOさんに言って下さいや」
「とても私の口からは言えませんので―」(言ってるじゃん)
「そのかわりメカ(校正・製作)の方はばっちりやらせてもらいますから・・・」
MさんはOさんより先輩である。

録音当日。
Mさんは「私ね、和歌読むのは得意なんだけど短歌の録音は初めてなのよ。多少の訛りが出るのは許してね」サラリとOさんに言ってくれた。

マイクを前にすると極度の緊張をする私だが2ヶ所止められただけでスルーしてもらって持ち場は読み終えた。
後はメカ―私の思い通りに音楽も流せて―

千丈川 009

さくら
桜の咲くのを待って撮影に行きCDにプリント。

千丈川 004

サブタイトルが千丈川だったので千丈川の菜の花をジャケットに。
イメージ通りのCDが出来た。

プレゼント

cd.jpg


―歌こそが「生きの証」とふひとの 珠玉の言の葉心込め読む―
―桜舞う千丈川のほとり来て 君が詩歌のかけらひろいぬ―


ジャケットにしのばせてOさんに渡した。

その夜
著者ご本人から「感激で身も心も震えております」
「孫や子に送ってやりたいので後三枚お願いできませんか」

―DCに吹き込まれたる風の道 しみじみと聴く風の音響―
―朗読に音の歌集となりて来ぬ 風の道わが涙して聴く―
―逢わんとぞ約せし人を待つこころ 杳かなる日の畏れにも似て―


毛筆で短冊に達筆で書かれた返歌!
「平安時代みたいやなぁ・・・・」「なんとまぁ風流な・・・・」

Oさんが
「大変喜んでおられましたよ。みなさまにお会いしたいって・・・」
いやぁもう声だけのおつきあいでとMさんが言って写真を

千丈川 022


私以外は昭和20年代の生まれ!

私は楽しかったし(喜んで貰えたし)それにとても勉強になった。
個人的に歌人にもゆっくり一度お会いしてみたいと思っている。
そして今度は私自身のCDを作ってみたい。

果たして・・・・

  1. 2008/06/03(火) 02:00:57|
  2. ■Bakoの事
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:18
高野山二泊目の夜。
静さんとお風呂に行った。
3×5mほどの大理石の浴槽。
誰も入ってなかったのでゆっくりのんびり入っていた。
静さんが洗髪を始め、ふと気がつくと浴槽に人が入っている。
確かに浴室に来た時はいなかったのにいつの間に・・・
湯気の向こうに大柄な体格の良い(私の倍はありそう・・)60代!?くらいの女性?(女湯だもん?)
四天王・軍神を彷彿とさせるお顔立ち!でありながら柔和なお顔。

「私は徳島の修験者である。
40年かかさず毎月21日の弘法の日には雨でも嵐でもお参りに来る」
「弘法様に呼ばれて今までにネパール・チベット・インド・中国(他にも国名をあげた)に行った。
弘法さまに呼ばれればどこえでも行く」

私は奥の院で弘法さまのお姿が見えなかったことを初めて話した。
「初めてのお参りではお姿は拝めません。
次にはきっとお姿を現わされますよ」
低いが柔和な優しい口調だった。
「初めての人(Jikoの事)でも見えたと言うんですが・・・」
「では見えた!と言う人に絵を描いてもらってごらんなさい。
坊主頭の絵をかくでしょう―
みんな御影で見てる絵を描くと思いますよ。
本当のお姿は髪が肩まで伸びておられます。
大勢団体などの来ている時には私にさえお姿を現しません」

洗髪を終えた静さんに
「今の人、徳島の修験者と・・」

「誰か入って来たが?―見て無いし話していたのも知らない!?」

部屋に帰ると早速Jikoに
「今日見えたお大師さんの絵描いて見!」
「いやぁ~ぼんやり見えたような・・・」
「坊主頭やった?毛が生えとった?」
「そうりゃお大師さんは坊主頭やろ・・・?」
「フン!じゃあ見えてないんや・・・」

と修験者の話をしたのである。

次の朝―
宿泊者なら必ず朝の勤行に来られると本堂中見回したがその方の姿はなかった。
朝食がすむやいなや 賓頭盧さん が『帰る』と言いだし急な出立となる。
静かな一直線のお寺の長い廊下―
先頭は私、ものの2・3mほど後ろをJiko。
その後に賓頭盧さんと静さん。
まもなく玄関の手前で昨夜の方と会った。
黒い衣?か、丈の長い作務衣風の衣装で威風堂々と歩いて来られた。

「夕べは有り難うございました。
今から帰ります」
「お気をつけて・・・(言ったような!?トウジと言ったような!?)」
すれ違いざま見たのだが背中に赤だったか金文字だったか梵字が書かれてあった。
靴をはきながら、Jikoに
「今の人よ。夕べ話した修験者・・・」
「・・・・・・!?」
Jikoは会わなかったし~見なかった?と言う。
私が挨拶していたのも知らない?と言う。

廊下を振り返れば・・・・・賓頭盧さん夫婦だけ!

お寺のお坊さまに高野山の駅まで送って頂いたので“修験者”のこと聞いて見たくてたまらなかった。
でも静さんにもJikoにも見えなかったらしいので―

「いいえ!そのような方はお泊まりではありません!」

と言われそうで聞けなかった。

帰って娘に話すと

「結局、誰がボケとったん? Bako・Jiko・静さん・!?」

シックスセンスのない娘は云い放ったのである。


多聞天=毘沙門天

  1. 2008/06/08(日) 01:36:46|
  2. ■Bakoの事
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:15
決して私は呆けてないっ!(呆けて居る人ほどそう言うらしいが・・・)
断固呆けてないっ!
今までも度々不可思議な事に遭遇したけど“夢かうつつか幻か”みたいな状況であって今回のように丸腰(いやすっぽんぽん)で戦闘態勢はおろかこれ以上の無防備な状態はないでしょ!
しかもオドロオドロしたものでもなく―同じ仏像でも菩薩様とか観音様って言うなら
「これは幻覚だな」
納得いくけど・・・『大塔』内で見た四天王・多聞天・増長天・持国天・広目天の如きお顔付きなのだ。

静さんは洗髪していたのだから当然目をつぶってシャワーをかけていた。
Jikoは何も考えずぼんやり歩いていた・・・だから
二人が見なかった!いや見えなかった!
と聞いてもそれほどオカシイとは思わなかったのだ。

―あの日までは―  とこの事はおいといて・・・

『奥の院』
私がぴょんぴょん御廟橋の試し渡りをして振り返ると・・・
今まで何事もなく歩いていたJikoが突然、本当に突然!
「ゴホッ!ゴホッ!」
「ゲホッ!ゲホッ!」
咳き込んだ。
「人畜無害・人が良さそうなふりして・・・やっぱお大師さんはお見通しやな」
「さては邪心のかたまりやったんやな!」
と悪態をついていたがますますひどくなり
「ゴホッ!ゴホッ!」
「ゲホッ!ゲホッ!」
胸を押さえて座りこみ苦しそうだ!
初めは笑っていた私も
「胸にあるもの全部吐いてみ!ほら吐いて!・・吐いて!」
夢中で背中を叩いた。

『ゲボォ!!』

大きな何かが出た様子だったが(確かに何かを吐いた)実際に出たのはよだれと鼻水だけ―

すると咳も止まりすっきりした顔つきで何事もなかったように橋が渡れた。


後で聞いたら
「毘沙門天が現れてうわぁ~と覆い被さりもの凄い形相でどどーん!と背中を押してくれた!」
「どうもおらには毘沙門天がついとる。
今までにも度々助けられたことがある」
Jikoは私と違って信仰心が強く今更、僧侶になるのは無理だからせめて寺男にでもなりたい人なのだ。
それが駄目なら「仙遊寺」の仙人になりたい!?
(そっちの方が無理なんちゃう!)
いつもちょっとピンのずれた事を言う人なので
「ふ~ん!七福神がついとん?Jikoらしいわ」
(毘沙門天は七福神のひとりとしか認識なし)
と今までに見た七福神の福々しいお顔を思い出していた。

その後 修験者のお顔と“トウジ”と言う言葉が頭から離れなかった。
言葉で聞いたのかインスピレーションだったのかも定かではないが・・・
トウジと言えば=杜氏・冬至・当時・湯治・陶磁・答辞 私のボキャブラリーの中のトウジはこれくらいしか・・・思いつかない。
で高野山の写真を静さんに渡しながら、ふと
「高野山とトウジって言葉・・・何か関連ある?」
「あ~トウジな。京都にあるお大師さんのお寺よ」
こともなげに答えた。
「どんな字書くの?」
「東の寺。予定では高野山の帰りにお参りしようと思うとったんよ」
残念ながら過去3回ほど京都には立ち寄ったが平安神宮・南禅寺をチラ見し三条だか四条どおりだかをぶらぶらした程度で観光はしていないし知識もない。

すぐさま『東寺』調べて見たら毘沙門天が祀られている。
「多聞天と毘沙門天は同一人物!二役!」
オカンは鬼子母神でカカさま(おひげのおっちゃん風に)は吉祥天。
―自信・勇気が持てない人に強い心を導きだしてくれる。
必勝の神であり怨敵退散の戦いの神でもある―と。

京都・仏像と言えば阿修羅王さまでしょう!
その上、幸せなことに彼女はカメラマンである。
早速『東寺の毘沙門天』の写真をお願いした。

毘沙門天


20080211160615.jpg

 
これがその写真。
『あっ!』
「あっ!」
私とJikoが同時に・・・
いつもJikoを救ってくれる毘沙門天だと・・・・
私がお会いした修験者のお顔だちにもそっくりなのである。

それ以来Jikoは「オンベイシラマンダヤソワカ」毘沙門天の真言をあげて信仰心に拍車が掛かっている。


誕生日

  1. 2008/06/22(日) 14:56:28|
  2. ■Bakoの事
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:12
夏バテですか・・・とご心配頂くほどご無沙汰でした。
それはこの子のせい!

t-main.jpg


かねて調子の悪かったプリンター(修理に出したらもう部品がない)
「まだ4年しかたってない!」と哀願むなしく送り返されて来た。
途方にくれていた私に娘が
「少し早いけど誕生日プレゼント!」
Shinちゃんとこの子を持って来てくれた。

プリンター(2)

プリンター


設置後、Shinちゃんに
「Bako使いこなせるようになるには10年かからい」
と操作ガイドを渡された。
プリンター如きに10年もかけてる余裕はない―と説明書片手にアタック!

ところがこの子優れものであんな事、こんな事いろんな事が出来て面白い。
すっかりハマッって―

夏


携帯で撮った写真も赤外線で送信してダイレクトにプリントアウト出来る。
面白くって楽しくって
「まだまだ呆けられませんなぁ―」

誕生日当日には旅に出るってので

ぴーちゃんとCyao(入学以来初めての帰省)が
誕生日 001


ケーキを持って―
どれも美味しそうで
「全部食べたい」と全部・全員で一口ずつ食べた。

ほんとうにどれも美味しかった!

(他人がいない時は)
―これからはこの食べ方しょう―
全員納得!

お約束のハンカチ

ブルー


「今年はブルーでまとめてみたんよ」

たまご


―空のイメージで作られた爽やかで透明感のあるフレッシュピュアな香り―
の芳香剤。

―花が咲くたまご―
どんな様子でたまごから花が咲くのかお楽しみ!

落ち着いたらたまご割ります。
成長過程はUPしま~す。

もうひとつプレゼント!
明日からの[ ののちん参り ]にと
帽子。

帽子


「一応ブランドものなんよ」

前夜祭の模様は後日!

みんなみんなアリガトね!




やっと落ち着きました

  1. 2008/09/23(火) 08:26:45|
  2. ■Bakoの事
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:11
以前からどうも調子がよくなかったPCが9月に入ってますますひどくなりフリーズの連続状態。
ちょうどMにたのまれて フックン のアルバム編集中の事。
5年間私の手となり頭となって連日、酷使された反逆か・・・

Mに
「PCが危篤や!PCが無いとうちも死ぬ!」
地団駄踏んで哀願した。

さっそくShinと持って来てくれたのが
dell.jpg

私はどうしても金曜日にはPCがいるのだ。
視覚障害者に地方紙をメール便で発信している。
週毎に6人が書いている(日曜日休刊)

「字が小さいだとか・・・画面が暗いだとか・・・キーボードが黒で見え難いだとか・・・」

また地団駄踏んで懇願!

多忙きわめる最中Mは食事の時間をさいて隣市の電器屋まで走ってくれた。
「字が大きくて・・・マイクが使えて・・・写真編集ができて・・・」
私の細かな要望を聞いて選んでくれたのが
この子。
Vista

「XPが良い」と言ったのだがVistaしかないんだって・・・
全然操作が違う。
バックアップしたファイルは〔互換性モードがどうたらこうたら〕写真を取り込もうとすると〔汎用デバイスがどうたらこうたら〕
Mに
「一度見に来てよ」と頼むのだが
「ここ1・2週間は無理!」
電話片手に
「シフトキーと同時に押せ」「ツールの横の三角ボタンを押せ」だとか・・・

マウスはマウスで今までコロコロマウスだったのに光化学マウスだとかでちょろっと矢印がいなくなる。さわった感触もないのに2・3ページスクロールする。
手を触れただけでピィロピィロ落ち着きなく震えて「おまえ何したい?」みたいな・・・

しかしディスプレイはワイドだし、なによりワンタッチで文字が大きくなるのが嬉しい。
最初よりは用語もそこそこ理解出来るし5年前のような事はないだろう。

さぁ頑張ってついて来てくれよ!
私より長持ちしてや!頼むで―








フックンのアルバム

  1. 2008/10/02(木) 11:07:35|
  2. ■Bakoの事
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:9
フックンが“歩き遍路”の記録としてデジカメで150枚ほど写真を撮っていた。
それをMがCDにして上げたのだが残念!フックンの家にはPCが無い。
そこで「せっかくだからアルバムにしてあげて」とMからCDと用紙とが届いた。

用紙

全行程野宿なので電源確保が困難なため八十八ヶ所、札所の写真はほとんどが1枚
当然ながら被写体は山門もしくは本堂。
なかには一目で分かる札所もあるけど似たような山門に似たような仁王様。
堂宇の反り加減や幕の紋での判別・・・書かれている文字も消えかけてるし・・・
その日歩いた距離と撮影時間を調べたり私の写した写真と照らし合わせてみたり・・・
けっこう大変だけど楽しんで編集している最中40番あたりからPCの息切れが激しくなりとうとうダウンしてしまった。
今まで写真の整理はエクセルでしていたのだが、Vistaに移すと形式がどうたらこうたらでうまく収まらない。
それでワードでどうにかこうにか仕上げた。

表紙    アルバム

今読み終えた後にじぃちゃんと一緒に晩ごはん食べています

1人で読むのがもったいなくてじぃちゃんと一緒にお遍路の思い出を思い返してます

本当に一生の宝ができました

じぃちゃんも自分の事のように喜んで「一生の宝よ]って言うてくれてます

バコのおかげで俺の孫まで自慢できる思い出が宝物として形になって残りました

言葉ではこの感謝の気持ちをどう表していいか本当にわかりません

俺はこの先に夢を叶える事でバコへの感謝の気持ちを伝えたいと思います

バコが88歳になった時は是非一緒に参拝さして下さいね

本当にありがとうございました・


じぃちゃん

アルバムを見るじぃちゃんの写真を添えてフックンからメールが来た。
悪戦苦闘の甲斐があったと言うものだ。

そうそう私が88歳になったらフックンが88ヶ所巡礼に連れていってくれる約束をしたのだ。
その話をするとぴーちゃんが
「そんときはお兄ちゃんも一緒に行くと思うわ」
「じゃ~あ お寺の石段はお姫様だっこで上がってもらう」
と言うとMが
「両手いるかい!片手で(だっこではない)つまんで上がらい」だと―
いずれにしても楽しみが又ひとつ増えたと言うことだ。
ずいぶん先のことやけど・・・しっかり生きとるで!(フッフッo((*^▽^*))oフッフッ)

私の本

  1. 2008/11/11(火) 14:41:31|
  2. ■Bakoの事
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:14
朝、起きてみると
4葉

Jikoが草引きをしていて見つけたと―
「何か良いことあるかも・・・」

その日の夕方、Bossから
「本、出来とるよ~」

夕ごはんもそっちのけでMんちへ

“ご対面”
表紙
見開き

見開き

目次
目次
187ページの私の本!

記事
記事2

題字見開きは娘の字。
絵は大好きな“にわぜんきゅう”さん。

Ivoryboatさまに会って必死に火を焚きつけて・・・
(でも正直言ってこれほどの本になるとは期待してなかった!)
我が娘ながら(お主、なかなかやるな!)
最後には「ぴーちゃんとお遍路」の記事ものっていた。
「こんなに奇麗に出来るんやったらもっと内容コンパクトにまとめるんやった」
と言うと
「両面印刷でレーザープリンターで10分もかからんよ」
それより紙がそってまっすぐ重石をかけて乾かすのに3日かかったわ―
嫁入り道具に持たせた百科辞典が初めて役にたった―と笑う。

図に乗って後5冊欲しい・・・と言うと
「作り方教えるけん~自分で作り。
なんなら重石にこの百科辞典も貸してあげるし・・・」
新たに原稿書くなら非公開のブログ開設してあげるとも・・・

でも私はPCに関しての身の程知ってるし・・・言いたかないけど!

“無理”

まぁ死んだら本作って上げるわ―と言っていたのに生きてる間に手に出来て(火種を下さったIvoryboatさまに感謝!)
冥土の土産にと後生大事に開いてはひとりにやけている。







ご無沙汰でした

  1. 2008/12/09(火) 22:48:30|
  2. ■Bakoの事
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:16
やっとネット出来るようになりました。
元気でいろいろと忙しくやってます。
そのうち記事もUPしますので・・・よろしく!

お年賀

  1. 2009/01/01(木) 01:00:00|
  2. ■Bakoの事
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:9
66-1.jpg

初春のお慶び申しあげます。
今年も牛歩千里でゆっくり、のんびりまいりますので、よろしくお願いいたします。


ジャンパー膝?

  1. 2009/01/04(日) 15:38:13|
  2. ■Bakoの事
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:12
昨年の11月頃から、膝に違和感を感じていた。
それまでも、たまに痛むことはあったが2,3日もすれば治っていたので最初はあまり気にもしてなかったが、痛みが持続的になり、12月になるとYGP(後日UP)の活動も活発になるので病院―どうせ老化現象だと言われるのがオチと―へ出掛けた。
レントゲン写真を前に、初老の優しそうな医者は、しきりに首をかしげ
「骨は非常にきれいなのですが、朝からの日常の生活をくわしく話して下さい」と言う。
「以前、やっていたスポーツは何ですか・・・」
(自慢じゃないが、根っからのスポーツ音痴)
「ママさんバレーとか(言いながらカルテを見て)今はしてなくても・・・
何か飛んだり跳ねたり・・・」
「いいえ―なにもやってません」

「一般の人には・・・ちょっと考えられないのですが、ジャンパー膝ってやつです」
「はぁ!?」
「普通はバスケットとかバレーとか走り幅跳びなど、飛んだり跳ねたりするアスリートが良くなるもので靭帯が炎症をおこしているんですね」
「はぁ!?」
「患部をあたためて―カイロが良いでしょう。安静にして自然治癒を待つしかないでしょう」
「痛み止はあげますが、きつい薬なので我慢の出来ないときにだけ用いて下さい」
「特に階段の上り下りや坂道はさけてください」
(うち二階あるし、家は蜜柑山の中やし・・・)
「完全に治れば骨はきれいなので、前より丈夫になりますよ」
―で・・・自然治癒を待て・・・と―

娘に伝えると
「ジャンパー膝?」大爆笑!「なんでBakoが?」
「そんなん・・・知っとる?」
「うちもBossも子供らもやっとるわ。大体スポーツやる人の怪我やが・・・うちは今でも膝痛いんよ」
「薬は副作用ひどいから、あんまり飲まんほうが良いよ」

三日ほど、カイロを膝にくくり付けて辛抱した。
結果、低温火傷!
どう考えても、私のなる病気じゃない。
あの医者、見立て違いかも・・・

次の日、隣市の総合病院へ
レントゲン写真を前に、カルテと私の体格を見ながら
「過激な運動をしているなどと言うことはないですよね?
普通はスポーツ選手に多いんですが」
(いっそラグビーを少々たしなんでます―言うたろか)
「骨は変形もないし、年齢にしては非常にきれいです。
膝蓋靭帯炎、(俗に言うジャンパー膝)痛み止の注射、打ちますか?」
「その注射で治るんですか?」
「いや、痛み止めるだけです」
「じゃあ注射いいです」
「もともと人間には自然治癒力があって(私の持論やん)治るのですが、これは慢性化しているので時間はかかりますが無理さえしなければ完治します」
「2,3ヵ月はかかるでしょうが薬は出しますから自然治癒を待ちましょう」


温湿布とあの、飲まない方が良い薬(前の病院と同じ薬)をもらって帰って来た。
膝の痛みを止めるか、胃の痛み・ジンマシンを覚悟するか―それが問題だ!

膝はいつも痛いわけではない。
屈伸がダメ・・・こたつに入っていて、いざ立とうとすると痛くて立てない。
そこでもぞもぞつかまれそうな物や所をさがしてうごめきJikoに「なめさん」(なめくじ)と言う有り難くない呼び名で呼ばれる。
それでやっと立っても生まれだちのバンビのように2.3回はよろけるが、一度立てば普通になんの支障もなく歩けるし、車の運転も出来る。

でも、なんで・・・?なんで・・・?
私がジャンパー膝なんかになったんだろう!
夜な夜な蜜柑山をキョンシー飛びした記憶もないし・・・

退行性変性(老化現象)と言われるよりは、良かったのか?
そうやな、両医師とも治るって言ったもん。
老化現象では治る見込みないしな!

世界で一冊の本

  1. 2009/01/12(月) 16:26:24|
  2. ■Bakoの事
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:9
世界で一冊だけ・・・それも私だけの本。013.jpg
大好きな藤紫のカバーに桜・・・タイトルは『桜月夜』
想像以上に立派な本。
花音さまの写真と文章にお母様のお歌。
字も大きく、写真とお歌との見事なコラボレーション!
014.jpg
018.jpg
いつものことながら、彼女の想像力・着眼点・・・感嘆!溜息!
エッグアートや小物のあしらい(どんな頭脳してんだろう?)
洗練されたセンス(持って生まれたものなんやろうな)
お母様のお歌も一段と引き立って―素晴らしい!―のひとことしか・・・

以前、花音さまがお姉さまの本を作ったと言うのが、引き金になり、私も本を作りたいと思ったのだ。
その後、娘がブログを製本してくれて、ますます夢は膨らんだ。

先ず、下書き原稿を書き、国語の先生だったどんぐりの先輩に校正してもらった。
あらためて語彙の少なさ、言葉の使い方の間違いの多さ、いやというほど知らされて―
表現力の稚拙さ―文章を書くことの難しさに直面。
さてPCで原稿おこすのに今度はレイアウトに苦労。
もともとセンスの無さはわかってはいたが、まぁそれも私らしいかと―
その間、PCの不具合で2度の初期化。
設定し直すのに、最初の原稿と同様になかなか出来ず、途中10ページほどは消滅!等々
アクシデント続きで、モチベーションはどんどん下がって・・・
やはりド素人には、無理な話か・・・挫折!

とりあえず、試しにプリントアウトしてみたが、思うようにいかず、そのうち娘にもらった用紙もなくなって・・・
手元の用紙で印刷してみても写真の発色悪いし・・・
再び挫折!

歌集・エッセイ集との夢は遠のくばかり。

『ひとひらの幸せ掬う掌を落ちて こぼれし夢はいずこ彷徨う』

花音さま!
これだけの本、たいへんだったでしょうね!
「まぁ!きれい!」だけではすまない感動です。
これも自分でやってみなければわからないことですが・・・
お忙しいお仕事の合間をぬって、私だけのために、このような立派な御本
ほんとうに有難うございました。
『なんにもいえねぇ!』のが本心でございます。





YGP

  1. 2009/01/25(日) 17:10:17|
  2. ■Bakoの事
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:8
昨年の10月、地方紙の音訳中に、目に止まった記事。
『YGP』八幡浜元気プロジェクトが活動の一端としてタウン紙を発行する。
制作委員として一般参加の募集、2名。
ちょうど本作りに興味をもっていた時期だったので応募してみた。
「条件は・・・年齢制限ありますか?」
携帯メールでのやりとりのあと、採用された。

第1回の制作委員会の日。
指定された市のセンター研修室を覗くと、5・6人の高校生がたむろしている。
部屋を間違えたかときょろきょろしていると、一人の男の子が
「ここはYGPですよ」
明らかに、部屋が違いますよ―って顔で言う。
同センターではカラオケ・陶芸・詩吟などの教室もあるので・・・
「はぁー!私、YGPにきたんですけど・・他にYGPの部屋あります?」
と私も戸惑いながら返事。

そうこうしていると二十歳そこそこの委員長と称する人が来てにこやかに
「よく来てくださいました。どうぞ!どうぞ!」
(後で知ったが24歳だった)
24歳には見えない童顔で、ラフな今時若者スタイルで胸元にはネックレスが・・・

集まったメンバーを見て驚いた。
下は中学生からトップが24歳で、もう一人の一般参加の女性が32歳。
これは~なんとも場違いな~
「撤退します!」
「いえ、いえ昔を知ってる方の貴重なご意見を・・・是非、参加して下さい」
伊予の大阪とまで言われた昔の八幡浜の片鱗を知る私であれば
『温故知新』少しは役に立つかなとは思ったが、廻って来たメンバー表、15・16・17歳ほとんどが10代。(ガキの集まりじゃん!)
「やっぱ・・・無理だわ。間違えた!」さすがの私も退却体制。
「そう言わずに是非・・・是非・・・」
高校生たちから拍手が沸き、とりあえず腰を落ち着かせる。

自己紹介・抱負などをのべるのだが、どうしてどうして今時高校生しっかりしたもの。
もう一人の一般参加のS女史はきゅっと髪を束ね眼鏡をかけ、黒のスーツにヒールを穿き、大きな書類バッグを持ってキャリアウーマンのサンプルのような人。
八幡浜で生まれ高校までは八幡浜だったが、大学・就職で昨年まで東京にいたとか・・・
今は設計事務所に勤めているが、本の製作には詳しい様子でノウハウを把握してるし、イラストも描けるし、レイアウトも出来る、PCに関してはパーフェクトだと冷たく聞こえるくらい綺麗な標準語でPRした。
(う~ん!そうだろうな!出来る女って感じ。唯一の大人なんだけどお近かづきにはなれそうにないタイプ)
私の自己紹介の番が来て
「肩書き・特技なんにもないKです。ただ本の製作に興味があったのと多少、元気だった頃の八幡浜を知っているので参加しました。
年は23歳(場がざわめいた一瞬間をおいて)の孫がいます。(大爆笑)
昔のことは聞いて下さい。」
一人の高校生が
「木蝋は日常的には、どんな使い方してたんですか?」
(近くに昔、木蝋が特産地だった地域がある)
「ごめんね!生まれた時、もう電気あったんよ」
「ご飯はおくどさんで炊いてたけどね・・・」
「・・・・」「・・・・」
「おくどに薪燃やしてお釜でご飯炊くの」
「・・・・」「・・・・」

ちょっと、面白くなった。
こんな子供たち(失礼!)が、どんな八幡浜の本をつくるんだろう!?
(内心はほんとうに出来るんだろうか?)
見届けるって言うか見学してみたい気持ちになった。
帰る時、駐車場に行ったら委員長は軽トラでS女史はオープンカーだった。

帰宅後、娘に話すと
「YGPのYはヤングのYやろう(笑)」
「PCも高校生は学校で習った以外は、Bakoの方が出来ると思うから自信もって良いよ。
まぁがんばりや!」




船出

  1. 2009/02/01(日) 17:33:13|
  2. ■Bakoの事
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:6
船名も行き先も航路も決定しないまま、大きな夢だけを乗せてYGPの本制作の船は進水した。
いかなる情報を誰にむけて発信するのか?
何をアピールしたいのか?

観光客!
観光地?観光施設?どこ!?

国木農免道路から宇和海を望む景色はイタリヤのフィレンツェよりも美しいと絶賛されている?
S女史が力説するけど
(私、そもそもイタリヤのフィレンツェ知らんもんなぁ~)

駅・港にレンタサイクルおいて保内の古い街並み探訪!
片道20Kあるよ。
「僕も私もチャリで通学してます」って高校生は言うけど・・・
古い街並みでも散策しょうってのはオジサン・オバサンだよ。
年間、市外から観光客が何人くらい来るの?

夢を壊さないように、言葉を選びながら疑問を投げかける。

結局、テーマは「人」に落ち着く。
今、八幡浜で元気な人、輝いている人。
頑張ってる人にスポットをあてエールをおくると共にその人からみんなも元気を貰おう。

テーマが決まってからのS女史の活躍は、さすがに目覚ましいものであった。
彼女の見事な水先案内で進路の決まった船は走り出したのだ。
目的が決まれば高校生たちの活力・行動力はすさまじい!
寒さにも負けず、雪にも負けず、東に元気な人がいると聞けば、即、駆けつけるし、西に頑張ってる人がいると聞けばリサーチに余念がない。
なかには毎朝、通学途中で元気に挨拶してくれる人とか、学校の近所のお店で美味しいアイスを何十年も売ってるおばさん!とか―

打ち合わせは、放課後か土・日の夜なのだが、若い子は寒くないのか!エアコンなし。
たまに出る飲み物も自販機の冷たいお茶。
寒さに耐えかねて3度に1度は欠席する。
「ごめん!南国生まれなもんで・・・」

委員会


連日、携帯に絵文字いっぱいのメールが来る。
アンケート用紙一枚にしても訂正・訂正・改正と・・・手探り状態ながら進んでいく。
アンケート欄に「八幡浜の嫌いなところは?」
「それよか八幡浜を良くするには―の方が良くない?」
私の一言でまた改正。

竹細工の名人が「高野地御神楽」「雅太鼓」と同じ伝統芸能に・・・
「竹細工だったら伝統工芸だよ」隣の高校生に耳打ちする。

かくして『八幡浜笑人』と命名された船は出港したのである。

取材

  1. 2009/02/12(木) 17:05:54|
  2. ■Bakoの事
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:7
ターゲットが決まると取材が始まった。
3・4人がチームを組んでアポをとりデジカメ・ボイスレコーダー・予備の電池・充電器を入れた袋を渡され訳も分からぬ者同士(一度リハーサルはしたんだけど・・・)
最初はゆいちゃん(16歳)と、かずくん(17歳)。
ゆいちゃんとは最後まで同じチームだった。
カメラマン・インタビュアー・レポート制作係を決めて―
当たって砕けろ!(日本語通じりゃどうにかなるやろ)的な取材が始まった。


DSC02744.jpg

DSC02757.jpg

コピー ~ 191

路上でライブをしながらロックミュージシャンを目指す少年(高校3年生)の取材。
「座右の銘は?」
「なに?それ?」
聞き返されて、ゆいちゃんは私を見る。
(自分たちで作った質問項目だろ・・・)
「格言!」と私。
「へぇ?」
「常に心がけてること」
「早起き」(新聞配達してるもんね。じゃあ無くて―)
「こう、しょうとか、そうなりたいとか(人生の指針―無理か?)」
「ロッカーになりたい」
「じゃあね。好きな言葉。いっつも言ってる言葉」
「気合だぁ!ー」

お寺

名僧

古い街並みガイドの取材で龍潭寺へ行った時のこと。
住職が
「石原家の墓所があります」 とちょっと自慢げに案内してくれた。
石原都知事が年に一度は墓参に来るし、ご両親の出身地がここ、保内だと言うのも知ってはいたが菩提寺が龍潭寺とは知らなかった。
私が息子のお産で入院していた時、隣の部屋に裕次郎さんの叔母さんが入院していて裕次郎さんがお見舞いに来て病院中、大騒ぎになった。
「石原家」になんの興味も示さないゆいちゃんに
「ほら、裕次郎」
「・・・・」
「裕次郎知らんの?石原慎太郎の弟」
「・・・・」
「石原都知事知っとるやろ?」
ゆいちゃんとまみちゃんは顔を見合わせていたが・・・
「良純さんのお父さん?」
(そっちかい!)

ガイドさんが
「三本松からグラマンが来て・・・」
「グラマンって何?」
「グラマン・B29 敵機 アメリカの爆撃機」

「戦争の話お父さんやお母さんに聞いたことない?」
二人とも頭を振る。
「お母さん幾つ?」
「38です」「42歳」(そりゃ無理やな!)
「おじいちゃん、おばあちゃんは?」
「ばあちゃんが59でじいちゃんが62かな?」
祖父母さえ戦争を知らない世代なのだ。
ガイドさん自身「聞いた話ですが・・・」と説明していたもんなぁ。

再び愚かな戦争のないことを祈りつつ、たわいない話題で弾ける若い子を乗せて車を走らせた。







編集

  1. 2009/02/24(火) 17:13:46|
  2. ■Bakoの事
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:6
取材と並行して原稿、編集が始まった。
11月、12月、1月多忙な3カ月。
痛み止を使用しつつ痛い足を引きずって取材に原稿書きと走り廻った。
各自PC持参なのだが、調子が悪いので私は家で原稿を書きメールで送ったりメモリスティクに入れて持って行った。
ある日、かずくんが
「控えおろう!今日からVistaだぞ」
3・4人の高校生がかずくんを取り囲みPCを覗く。
「ふ~ん。メニューバーは?」
「ツールバーとか違うなぁ!・・・」

見ていた高校生が各々の席に帰ったあと
「リボンのタブが多すぎてかえって使い辛くね?」
ちぃさな声で言った。
驚いて振りむいたかずくんは(私を見て確実に2度驚いたな)
「たしかにぃ!」
「で・・・時々こうなる」
私の不具合と同じような状態だったので
「エンター連打してみ。うちの場合はそれで直るわ」
かずくんは連打して
「たしかにぃ!クィックアクセスのリボンがちぃさすぎて・・・」
私は“うん”と頷いてウイッシュ!!して離れた。
多分、この日まで私はPCを打てないと思われていた。

他のPCはXPだったしエクセルでの原稿制作だったので問題はなかった。
私は最初からエクセルでトライしたのでワードよりエクセルの方が得意だ。
高校生達はなるほど、打つのは早いけど操作に関しては私の知ってることの方が多かったりして・・・
「同時にファイル開けてコピペしたら・・・」
「それ、そのまんまドラッグでいけるんじゃない・・・」
「こうすれば全部の写真、一覧出来るよ」
椅子をくっつけて一緒に原稿づくりする。

S女史が2種類のレイアウトを作って
「AとB―どっちが良い?」
私はAだと思ったけど、ゆいちゃんに
「どっち?」
即座に「B!」
「B!」の声が多い。
「理由は?」
「タイトルの場所が、かっこ良い」
やっぱり―こんなところがセンス!いや年の差なんだな!

私は字の大きさと読みやすさだけで選んでたもんね!






取材終了!

  1. 2009/03/03(火) 16:09:39|
  2. ■Bakoの事
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:6
どうなることかと思われた初期から3ヶ月!
なんとか形になりつつある。
予定の1月末発刊は、ずれにずれて3月にはなったけど・・・

山の中に、独学で石窯を作りパンやピザを焼くのが趣味と言う人の取材に行った時のこと。
突如、山中に現れたイルミネーション!

image_12274168527.jpg

あすか

私が先頭で
「こんばんわ!」
「どうぞ~どうぞ!ママさんバレーの人でしょ?」
「いえ・・・YGPの取材に伺ったのですが―」
「あら!YGPと言うから、てっきり若い人が来るか・・・と」
「あとから若い子二人来ます」 

大きな石窯の後ろから現れた人を見て
「あらぁ~・・・」
「あれ!」
なんと家の近くにある運送屋のおっちゃん!
(失礼!社長さん)
石窯に魅せられて試行錯誤の末10年かけて制作したそうだ。

image_12259611384.jpg

「あんたやったら話やすいわ」
話に花が咲き焼き立てのピザも御馳走になり、お土産まで頂いて帰路に着いた。


ロンドンの取材には、ちょうどお正月休みで帰省していたTochiをカメラマンに同行。

010.jpg

後輩たちのマニュアルどおりの取材にTochiが
「それだけを聞くんやったら電話でもいいやろ・・・
もうちょっと話題を広げて・・・せっかく会って取材してるんやから、自分らの聞きたいことも聞いてみたら」
「そのあと、もう一言突っ込んで聞く―とか」

「はい」「はい」
ゆいちゃんとみきちゃん。
後輩にアドバイスするTochiの横顔を見ながら大人になったなぁ!

そのうち
「お名前は?」「年齢は?」
Tochiの取材を始めたゆいちゃん。
そう言えばゆいちゃんはイケメン担当だったな。
一緒に写真を

035.jpg

ガリバーの世界だと大はしゃぎ!
「カッコいい面白いお兄さん」
「楽しかったね・・・」
ゆいちゃんとみきちゃんの笑顔がはじけた。

一月の末、やっと42人全員の取材が終了した。
私が担当したのが3人。
アシスタントで参加したのが4人。



            

人文字

  1. 2009/03/11(水) 12:42:55|
  2. ■Bakoの事
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:11
『人文字を作るので全員集合』と、かず君からメールが来た。
狭い学習室で、どうやって作るんだろうと、思いながら出掛ける。
ひとりひとりが一文字作るんだと・・・
「えっモジモジくん?・・・うっそぉ~」
「いえ・・・マジなんで。なんになります?」
何になります―たって、戸惑いながらプリントを覗く。
ローマ字で SEISAKUIINKAI
「じゃぁ~I・・・」

P2080014.jpgP2080011.jpgP2080006.jpgP2080023.jpgP2080029.jpgP2080018.jpgP2100058.jpgP2120066.jpg

こんな調子!
(まぁ若い子たちの考えることは、正直わからん!)

次に出されたのは

はんこ

「スタンプラリーをするので、各自一文字づつスタンプを彫って下さい」

判

「ヤ」 を取った。









続きを読む

最終校正

  1. 2009/03/21(土) 13:25:22|
  2. ■Bakoの事
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:6
いよいよ印刷所に原稿を渡す段階にまで漕ぎ着けた。
幾度も高校生たちが校正した後なのでちょっと目をとおすだけだろう―簡単に考えていた。
ちょうど高校生達は期末試験が始まって、誰も参加出来ない。
印刷所の工場の片隅で24歳の委員長のっくん・S女史・市の職員Yさん・福祉関係のOさん、それに印刷担当にシコウさんが随時、顔を出す。
20代から40代の大人ばかり。
実際に取材に携わった高校生達がいないのでわからない個所やおかしな表現に戸惑う。
「こんな言いまわしあるかなぁ」とOさん。
「あると思います」
例の調子で声を張って言った。
「ふ~ん」「そうか・・・」
天津・木村、誰もしらないんだ!
(やっちまったな!)状態!
「ここのいかすは活かす?」
「それはナマの生かすでしょ」
「多岐に渡るは、さんずいの渡るではなく亘るでしょ」
『熱い言葉で熱い気持ちを熱く語る』
あ~ぁ、燃え尽きるわ。
『熱く語る言葉は郷土愛に燃えていた』とか―

前後の文章からおかしな個所は推察して直していたが『さんしゅに頑張っている』
(さんしゅ―何だ?)ってことになり、試験勉強ならまだ起きているだろう(10時すぎ)電話をすると
「さんしゅと言われただけでわからない」との答え。
仕方なし取材者本人に直接、電話して聞くことに・・・
のっくんが「夜分、おそれいりますが―」と
「はぁっ?養蚕ようざん?ですか?違う?はぁ~?かいこの種類?違う?さんしゅってどんな字書くのですか」
そのやりとりを聞いていて私は
「わかった」とOKサインを出した。
首をかしげて携帯を切ったのっくんに、
「おかいこさんの卵よ」
「どんな字ですか」
「天に虫・のぎへんに重い」
蚕種―書いてみせた。
「へぇ~!」「ふ~ん」「蚕ってこんな字?」
「蚕の種・卵を各地に出荷してるんやろ」
「はぁ~!」「へぇ~!」
伊達に年とってないよ。

そのうち又、なんやろ!なんやろ!とみんなが首をひねっている。
「パフュームかしゆか?」
「パフュームって香水ですよね」S女史。
「また電話して聞くか・・・」
私が
「待って!それテクノポップのユニット」
「えっ!じゃぁ かしゆかっ てなに?」
「キムタクとかサトエリみたいな呼び方で・・・三人とも名前に香の字がついとるんと」
「それでパフューム」
「へぇ~?」「フゥ~ン?}信じがたき全員の顔。
シコウさんがPCで調べて
「ほんとや!よう知っとるなぁ」
伊達に年とってないよ。

あらためてみんなが
(この ばばぁ 何者?)
みたいな顔をして私を見た。

そんなみんなを残して「御先に―」と印刷所を出たのは深夜の12時前だった。




最後の仕上げ

  1. 2009/03/29(日) 15:05:00|
  2. ■Bakoの事
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:8
いよいよ、完成披露まで秒読みとなった。
その、会場で買って下さるお客様、先着100名に何かプレゼントを―と言うことになり抹茶のサービス・ポンジュースのサービス・お餅を搗いて・・・とか!
どれも経費の問題で不可。
S女史が
「お四国さんで朱印(納経)を頂くと、別のページを汚さないように新聞紙をはさんでくれるけど(スタンプラリーの汚れをさけるため)、和紙をはさんだらどうだろう」

内子和紙のB品なら安く手に入ると(それなら一枚7円)
ただの和紙では―何か八幡浜らしい物を・・・
八幡浜と言えば魚と蜜柑!
蜜柑の香りをつけることは出来ないか?
「蜜柑の葉っぱを押し花にして貼れば・・・」
と私が提案した。
「4日で蜜柑の葉の押し花、200枚作ってや。若い子らが頑張っとるけん協力してや」
押し花教室をしている二宮さんに頼み込んだ。
「材料さえ持ってきてくれたら・・・協力するよぉ」 
快く承諾してくれた。
蜜柑の葉はのっくんっちの蜜柑農園から調達。
どんぐりで広報を市役所に取りに行ったついでに銀行に寄ってもらう。
銀行からビニール袋いっぱいの蜜柑の葉っぱを抱えて出てきた私にどんぐりのみんなは唖然。
「木の葉がお金に化けるってお話はあるけど・・・なんで銀行で葉っぱなん?」
ちなみにのっくんは銀行員だ。

押し花
押し花(1)

出来あがった押し花を木工ボンドで貼りつける。
思っていた以上に蜜柑の香りが広がる。
次には娘が製本用に作ってくれた木製まないたを二枚合わせた圧力器?が役にたつ。
まな板
まないた

出来あがり。
009.jpg
005.jpg

さてオープニングのファンファーレ。
高校生達の通学している八高には断られたと言う。
「音なしじゃさびしいなぁ・・・」
「何か音がほしいよね」

「じゃあ、川高の吹奏楽部に頼んでみたら・・・」と私。
のっくんが
「打診して見てください」
(どうせ、駄目だろうけどモード)
太鼓はたたいてみなわからんやろ?
「若い子たちがボランティアで頑張っていますので御協力頂けませんか」
(この年の私じゃなければ言えない言葉やな)

校長に『出演依頼書』を提出してくれとのこと。
公文書などこの年になるまで書いたことがないので娘に字体・形式を教えてもらって書いた。
そして、見事、太鼓は鳴ったのである。

ファンファーレだけでなくジャズナンバーも2曲演奏してくれることとなった。

高校生達はザラ紙にダイジェスト版を6,000枚プリントして機動力にもおを言わせてポスティング。

いよいよ完成披露まで漕ぎ着けた。

人里に暮らして・・・

  1. 2009/05/16(土) 13:11:00|
  2. ■Bakoの事
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:9
商店街のど真ん中の、喧騒を逃れて蜜柑山の中の一軒家に移り住み、気がつけば20年近く過ぎていた。
最初は、ちょっと腰掛の仮住まいのつもりだったのだが、隣近所のわずらわしさの無い、蜜柑の
香りに包まれた自然の中で多少の不便さは有るものの、元気な間は気ままで終の棲家でも良いとさえ思っていた。
が、年を重ねあちこち体の具合が悪くなってみると、何か有った時、助けを求めるご近所さんもなく、狭くても1・2階に分かれているとJikoに手助けを頼むにも携帯で呼ぶことになり、家の中にいても携帯が手放せなくなっていた。
夜ともなれば、猪やタヌキの気配のみ・・・今まで静かだと思っていた夜陰さえ心細い限り・・・

先ず、この家に来て人の気配を感じた時は心からほっとした。
フェンスの外を人が歩く音。
人の話声。子供の泣き声、笑い声。
そのなかで、私が交流を深めたのは、ベッド!(これが最高!)
寝たり…寝たりの毎日で引っ越して約1ヶ月は引きこもりの毎日で、窓から見える竹林と今だに鳴いている鶯の声を聞きながら、極楽!極楽!
6軒ある家の、お隣さんは5歳をかしらに2歳、生後3ヶ月の赤ちゃん。
上の二人は女の子で、ママ共々言葉がきれいだ、
「だってサ、だからサ―しちゃたのよ」
「駄目でしょう・・・そうじゃないでしょう!」
(元気になって八幡浜弁をレクチャーしたくては)
2歳の子は、いつ会っても
「おはよう!」と挨拶する、
赤ちゃんの顔は、まだ一度しか見ていない。

もう一軒には、4歳くらいの男の子
「ひゅうま」って呼んでるような・・・
ここのお母さんは関西なまりだ。
「あかん、あかんって!」
声は聞くが、今だに親子の顔は知らない。

Bossとぴーちゃんが”鰺”を大量に釣って来て
「御近所さんにおすそわけしたら―」
10匹ずつピンピン跳ねてるをJikoが持って行った。
”鰺”は”さやえんどう”に”夏ミカン”になって
「大阪の娘が帰ってきましたので―」
お菓子になって
20年来、御近所のお付き合いってなかったもんなぁ!

家の中には匠Mの技が随所にひかる。
なかでも驚かされたのは、以前から有った特注の大きな食器棚。
もともと家具屋だった義父が茶の間に合わして作らせたものだ。
まんなかから上下に切り離して、天板をつけ、普段使いの食器と来客用食器とに分けて収納。
冷蔵庫とシンクの20cmほどの隙間にも隙間ストッカー(知らなかった)なるものを置いて小物すべて収納。
冷蔵庫の中、シンクの下、押し入れの中。
まぁお見せしたいぐらい効率良く、且つ使い勝手よく収納されている。


2キロ圏内に大型スーパーが2軒あり、百均もダイキもドラッグストアーもある。
(私はまだ一度しかスーパーにも行ってない)
病院も8ヶ所あり、5mほどの路地を抜けると千丈川。
大きな鯉が群れている。
錦鯉もいたりして調子の良い時にはパンの屑を持って行ってやる。
夕べもJikoが鯉を見ているとTochiが通りかかり
「自分ちの池と思うたらリッチやなぁ」
と笑ったとか―

遠くに汽車の音が、たまに聞こえ、風にのって川向うの小学校のチャイムや子供達の歓声が聞こえる。
あっ!隣の子がJikoに「おはよう」と言っている。
なんとものどかで、おだややかな日々。
心も体もついでに頭までゆる~ゆる~。
これで体調さえ元に直れば・・・しあわせすぎて罰があたるかな!






お土産あれこれ!

  1. 2009/07/18(土) 12:35:43|
  2. ■Bakoの事
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:8
S田町で届いたMiyaちゃんの荷物。
例によって何ヶ月御滞在の大きさ(今度は介護に行くけんな)と―

「化粧品は何使いよる?きれた物ない?」
「百均の化粧水と乳液」と返事していたら
化粧水・乳液・日焼け止め入りの下地ローション・ファンデーション・チーク・アイライナー・口紅二本・リップクリーム二本」(以前、使っていた”ちふれ”の化粧品)
「眉毛はあんたのは、おのれ生えやけん眉墨はいらんやろ?」
「うちはスッピンで寝とって”火事!”言うたら眉、描いてからやないと人前に出られん」
「眉描くまえに逃げろよ」
「眉無かったら誰か分からんけん、助けて貰えんわな」
口紅の一本は、外国土産にもろたけど、開け方が分からん!多分、口紅やと思う―
と言うイヴサンローランのパッケージ。
「香水かも知れん!」
字も読めないしババサマふたり・・・あーでもない、こーでもない10分あまりこねくり回して、やっとルージュであることを確認!
自慢げに娘に見せると、事も無げにルージュを出して
「何か?」
呆気にとられたMiyaちゃん「M、こんなの使いよるん?」
「ううん!初めてよ、でも見て触ったら分かるやろ?」
分からなかったババサマふたり
「やっぱ若い人は違うな」
で落ち着いたが、私達が知らなかっただけ・・・?

お次はこれ!携帯用の眼鏡?

お箸 (2)

ペンライト?

お箸 (3)

『マイお箸』でした。

お箸

例の如く、私の好みサイズを無視した服2枚
黒の7部袖で胸に大きなリボンのラインストーンの上着は、私が着ると長袖、おまけに肩は抜けるし、もう1枚は(ワイキキの浜辺で着るの?)極彩色の花の咲き乱れた、肩パット入り・・・
「神戸の元町で買うてきたんで―」言われても・・・ねぇ!
文句を言うとはぶてる(すねる)ので、「ありがとう!」

次に取り出したのは夏用のショール2枚。
不審げな私の顔を見て
「色は気にいらんかも知れんけど、外に出る時は首の日焼けをふせがんと、年いってからのシミはのさんでぇ」
(それなら、首よりほっかむりした方がいいんやない?この暑いのに首巻きかい!)
口には出さずモスグリーンの濃淡が透かしになっているインド綿の普通サイズのショールを手に取り「これは?」ともう1枚のボロをビローと引きずった20センチ幅のグレーのモノを指さす。
「イタリー製かフランス製かでシルクに手編みのレースを編みつけた高級品やと思う。
高級品嗜好の姪がボーナスでプレゼントしてくれたモノやけん」
「うちがすると、ビロビロのボロひこずっとるごとあるけん。あんたやったらパーティドレスの胸元にしたらおしゃれや思うで―」
(胸の開いたドレスも、パーティにも行きませんから)
とは言わず、巻いて見る。
私がしてもビロビロ、ボロボロ。
娘が「首のあまりを腕に掛けて見たら・・・」
羽衣の切れっ端を巻き付けたみたいでやっぱし変!
でも夕べ、テレビで同じではないがビローと下がったのを海老蔵サマがTシャツの上にしていたから流行りなのかも・・・

「あんた待ちよったら、いつになるかわからんけん、先に高野山行って来た」
と高野山で買って来たお線香。
DSC03464.jpg


DSC03462.jpg

蝋燭ほどの太さがあり、灰になると
『南無大師遍照金剛』の文字が出る。
読めるかなぁ!



<<NEW ENTRY  | BLOG TOP |  OLD ENTRY>>


.

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。