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桜舞

            Bako・・・可愛い孫たちが付けてくれた愛称。 ちなみに孫たちは[Bakoちゃん]と呼ぶ。  雅号は「水絵」!!風の吹くまま気の向くままに―

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習い事

  1. 2010/04/02(金) 14:52:30|
  2. ■Bakoの事
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:8
私の小さい頃の習い事と言えば―?
読み書きソロバンは(くれぐれも寺子屋じゃないよ!)学校で教わるし・・・
そうそう、一人日本舞踊を習っていた子がいた。
酒屋の一人娘で、大人になるまで続け名取になったとか、風の噂で聞いたが後に同級会で会ったら、養子さんを取って酒屋のおかみさんになっていたっけ。
私は、どう言ういきさつがあったのか、(多分、母が好きだったのだろう)戦時中からお琴(生田流)を習っていた。
譜面も手に入らず、借りて来た譜面を父が、筆で書き写したものを使っていた。
唯一、続いた習い事だ。

一時期、人並みにピアノも習ったし、クラシックギターも習った。
「カルカッシ」なる教則本で指がつるような練習もしたが、ダメだった。
もともとオタマジャクシが苦手なのである。

生まれて初めて、目にした楽譜は、琴の譜面。
琴は「一・二・三~斗(11)為(12)巾(13)と・い・きん」
たまに明笛(竹紙を貼って)を吹くこともあったが、この楽譜も数字だった。
と言う訳で、オタマジャクシにはとんと縁が無かった。

母の葬儀には、母の好きだった「千鳥の曲」で野辺送りをした。
母は「春の海」も好きだったが琴一面では間がもたないのと、子供心にお葬式には合わないと思った。
いつも「春の海」はヴァイオリンと合わしていた。
ヴァイオリンを弾いてくれるおっちゃんだと思っていたが今、考えると20代後半、もしくは30代だったろうか。
「春の海」を練習すると言うと、いつもヴァイオリンを持って来てくれた。
その頃には珍しい長髪で広いおでこが、芸術家を思わせる風貌だった。
練習の合間に「金婚式」と言う曲を聞かせてくれたのを覚えている。

今でこそどこの斎場でもBGMをかけているが、当時(60年前)琴の演奏で送りだす等ということは皆無で。思うにこれは父の発案だったのだろう。
母を亡くし、悲しみに耐えて必死に琴を弾じる私の姿は、参列者の新たな涙を誘ったらしいが、当の私は静まり返った室内で間違えて誤音を出したらいけないと、悲しいなど思う余裕もなく一生懸命弾いた記憶しかない。

一番最初に、手ほどきして呉れた先生は、鉄輪の高台に居を構えて、母娘で母(大先生)娘(若先生)で主に
若先生に「さくらさくら」「岩もる水」「荒城の月」など主に宮城道雄さんの曲を、古典になってからは大先生に教わった。
二人とも、いつも和服でお稽古部屋も二間あった。
終戦後、いち早く進駐軍の駐屯した別府はGIが街中にあふれ、先生宅にも出入りするGIがみられるようになった。
そのうち、いつも和服だった若先生が洋服を着るようになり、もともと華やかな顔立ちだったのに、真っ赤な口紅に目の周りが黒くなり、フレアースカートで琴の前に座るようになっていた。
若先生はサージェントのオンリーさんだとの噂が広まり、父は私に先生宅への出入りを禁止した。
そのかわり、満州から引き揚げてきた琴の先生が出稽古で家に来るようになる。
おばあさんだと思っていたが、これも今にして思えば50位だったか・・・
律儀に毎週、休むことなく通ってきて(家に来るので私はサボれない)、この先生に徹底的に古典を仕込まれた。
三弦・尺八と合奏しながら実際にお手前する「茶音頭」などもならった。
「越後獅子」「砧」「萩に露」「軒の雫」「みだれ」など奥伝の曲を習った。

時は流れて―
子育ても一段落したある日。
何時も気になっていた商店街の二階から聞こえる、琴の音。
聞けば大洲から出稽古で教室を開いている高井先生。
お会いして見ると、父と同年で猪年。
ピシッと和服を召して姿勢が良く、通る声でテキパキとお話される。
さっぱりして性格で、初対面で私とは気がうと直感した。
でおそるおそる中伝位から、お稽古して頂けないかと言って見た。、
「六段の調べ」「千鳥の曲」「娘道成寺」
などを私が弾くのを聞いた後、
「おさらいしながら、新曲もおけいこしましょう」
快く弟子入りさして頂いて「さくら変奏曲」「飛翔」「水の変態」「落ち葉のおどり」「奈良の四季」など習いながら古曲の練習もしてもらった。
この方が、厳しい方で一度間違えた個所を三度間違えると
「今日のお稽古はもう止めます。あなた、もう来なくていいから―」
私も初めは驚いてあたふたしていたが、40代後半、面の皮の厚さも手伝って
そのうち、そんなことを言われても
「先生はお茶でも召し上がって休んでいて下さい。私ひとりでお稽古しますから・・・」
と弾き続ける度胸も出来て来た。
私のお茶が好きなのを知って、いつも良いお茶を用意して、お稽古のあとお茶を頂きながら2時間くらいお話するのが楽しみになっていた。
時には、前習って出来なかった個所だけ2・3回弾いてお茶になる日も有った。
「あなたは職格者になるんじゃなく、趣味なんだから」
等と口では言いながらも、厳しい叱責を受けながら、先生とお会いするのが楽しかった。
(女性なのだが、先生に父を見ているような感覚があったことはいなめない)
高齢で八幡浜の教室を畳んだ後も、週一、大洲のご自宅まで練習に通った。
その後、先生は体調をこわし松山の病院に入院され私も八幡浜を離れた。

そろそろ還暦を迎えようと言う頃何気なく見た、保内の広報に「俳句教室」「陶芸教室」「押し花教室」「絵手紙教室」などと有る中に「お琴教室」と書かれていたので一度見学に行ってみた。
出て来た先生を見て驚いた!
当時、流行りのパンタロンスーツ・首飾りじゃらじゃら・・・もちろん私より若い!
時代かなぁ!今までの先生は、みなさん和服だった。
事情を話して
「中伝くらいから練習さしてもらえないか」と聞いて見た。
「うちはお教室なので皆様同時進行になりますので・・・それなら自宅の方で個人レッスン致しましょう」
今度、来る時までに、覚えてくるように―渡された紙には横書きの琴の楽譜と五線譜に書かれた音符!?
『月のお城』「はぁ~?」
初見でも、弾けるごくごく簡単な曲だ。

後日、お宅に伺うと玄関に大きなタイヤがでんとある。ここではスノータイヤはいらないので履き替えたとか。
聞けば今年の冬まで、富山だか新潟だか雪国にいて、縁戚を頼って保内に来られたとか―
琴は椅子に座って弾くようにセッティングされていた。
先生もロングドレス風のワンピスタイルだ。
「お願いします」と琴の前に座り、爪を付けようとすると
「その前に、発声練習を・・・」
どことか音大の声楽科を出たと言う先生の素晴らしい声量に圧倒されて声も出ない私!
「歌と琴は一体のものであって琴だけ弾けても意味がありません。
しっかり歌って下さい」
(へぇ~今時のお琴って・・・そうなんだ!)
思う反面
♪つ~きのおしろのおうじさま~♪
声を転ばせて歌う先生に気おされて、蚊の鳴くような声の私に
「もっと大きな声で・・・お腹から声出して・・・」
「琴は良いから、歌だけもう一度!」
(今まで、お琴の練習で歌を強要されたことは無かった)
「先生、六段からでもやって頂けませんか?」
ほんとうは奥伝の曲を言いたかったのだが、遠慮して言ってみた。
「しばらくは私のプログラムどおりにやって頂きます」
と『お山のくまさん』を渡された。
いまさら60のばあばあが♪くまさ~んおやまはさあむいのね♪上手に歌えたからってなんなん?
(私はお琴が弾きたいんじゃ!歌習いに来たわけじゃねぇよ!)
その後も行くたびに渡されるのは五線譜の書かれた、(お山の細道)(子狸子兎)童謡?のようなものばかり・・・
「はい!ピアニッシモ・・・フォルテ・・・スタッカット」
「ビブラートきかせて・・・」
今までお琴の練習では聞いたことのない言葉ばかり・・・
「なんぶんの何拍子ですから、その早さ違うでしょう!」
古曲の歌もこの調子で歌うのかと興味もあったが、一向に古曲は、おさらいしてもらえず、歌の練習に主体をおいたお稽古ばかり・・・。
その間、他のお弟子さんには一度も出会うことは無かった。
それとなく、他のお弟子さんのことを聞いて見たが
「バッティングしないように、調整してあります」

半年ばかり、通っていたが六段(歌の無い楽曲を選んだのが悪かったのか)さえ弾かしてもらえず、苦手なオタマジャクシの楽譜ばかり・・・
そうなると、えらいもので体に拒否反応が・・・
琴爪をはめる、人差し指が腫れて爪が入らなくなった。
その指を見せて、お稽古をやめたのである。

13年も前の話である。
その後「お琴教室」はどうなっただろうか、以後広報で見かける事は無かった。



NoTitle

  1. 2010/04/05(月) 16:53:21 |
  2. URL |
  3. ひげ
  4. [ 編集 ]
Bako様 こんにちは・・・・。

早く生涯記を書いてください・・・こんなに面白い人生は無いと思います・・・・高井先生の件・・・思わず笑ってしまいます。笑)

も~ダメ(>_<);

  1. 2010/04/06(火) 00:22:10 |
  2. URL |
  3. きつつき
  4. [ 編集 ]
Bakoさん こんばんは

>いまさら60のばあばあが♪くまさ~んおやまはさあむいのね♪上手に歌えたからってなんなん?
ここでたまらず声をあげて笑ってしまいましたi-237i-201

やっぱりBakoさんにはいろんな才能がおありなんですネ・・・^^

★コメント有難うございます

  1. 2010/04/06(火) 00:42:07 |
  2. URL |
  3. Bako
  4. [ 編集 ]
v-5  おひげさま
まぁ人間70年もやっておりますと、いろいろな事がありまさぁね!
高井先生も鬼籍に入られました。
そのうち、出版しましたら100万部ほど、北海道で売って下さいまし(笑)


v-5   きつつきさま
すっかり様変わりしてしまって・・・
お琴の糸もねじで締めるようになっていて、驚きましたが―
やはり私は正座して弾くほうが慣れています。
老後になったら(いつのこっちゃ!)膝が治ったらまた、お琴を出してあげようと思っています。

お琴かぁ…

  1. 2010/04/08(木) 09:35:16 |
  2. URL |
  3. 時雨空
  4. [ 編集 ]
ギターみたいに目印が付いていないから
正しい音を出すまでが難しそうですね(汗
歌習いに来てんじゃねぇって(w
何か先生なりの真面目なプランがあるんだろうけど
面白いですね(w

管理人のみ閲覧できます

  1. 2010/04/08(木) 23:21:55 |
  2. |
  3. [ 編集 ]
このコメントは管理人のみ閲覧できます

★コメント有難うございます

  1. 2010/04/09(金) 00:22:21 |
  2. URL |
  3. Bako
  4. [ 編集 ]
v-5  時雨ちゃん
同じ琴でも、弾く人によって音が違います。
私の時代では、♪ではなく、耳・体で音を覚えました。
やはり時代・・・なのでしょうね。
今時はどんな練習風景になっているのでしょうか!
そうそう、我が県都、松山にも「猫カフェ」が先日オープンしたとテレビで言ってましたよ。

v-5  ☆―☆―☆さま
えぇ~!
ほんとですか!?
有難うございます。

この前

  1. 2010/04/09(金) 08:39:13 |
  2. URL |
  3. 小紋
  4. [ 編集 ]
 おばさん方の家を整理したけど お琴いる? といわれました。 
 熟慮して 飾るところないからと 断りました。
 今の先生は 融通が ききませんね。
 読んでて おかしくて。
 高校の友達 やってましたが 三味線も やらなくてはならないので 高いのよと 
 きいてからは どこかで かかっている音楽を 聞くだけです。
 その友人も 今では指圧師です。 

★コメント有難うございます

  1. 2010/04/10(土) 00:08:16 |
  2. URL |
  3. Bako
  4. [ 編集 ]
v-5  小紋ちゃん
職格者(お弟子さんに教える)になるには三弦も弾けなければいけないのね。
私は、ほんとうに、趣味でお琴を弾くだけでしたので、三弦のおけいこはしてません。
だから“芸は身を助けてません”(笑)
三味線でも弾ければ、かど付け(古いか・・・)でも出来るんですが!

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