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桜舞

            Bako・・・可愛い孫たちが付けてくれた愛称。 ちなみに孫たちは[Bakoちゃん]と呼ぶ。  雅号は「水絵」!!風の吹くまま気の向くままに―

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お大師さんのぽんし

  1. 2011/11/05(土) 16:16:41|
  2. ■同行二人-風遍路
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
浜の町ばあちゃんは主人の祖母である。
小柄では有ったが93才で天寿をまっとうするまで、寝込む事無く、呆ける事なく元気でしっかりしていた。
90才を過ぎてなお、税務署・銀行に行った人である。
小学校4年までしか行ってないとかで読み書きは[カタカナ]しか出来なかったが、商売人らしく5つ玉のソロバンは使って計算していた。

娘時分、アメリカに密航を企て三津浜港(当時は松山に行くにも船便)で発覚し連れ戻された強者である。
親がつけた[ワイ]と云う名前が厭で[カツヨ]と生涯名乗った人である。
商才に長けた人で八幡浜で初めて[勧商場](かんしょうば)(百貨店みたいな・・今のコンビニ?)を始め、その建物を戦後はアパートにして貸していた。

4人産んだ子供を幼い内に次々亡くしたばあちゃんは「お大師さんにすがるよりない」とお遍路の旅に出た。
明治時代・当然、歩き遍路である。
「下駄をかるうて行った。5足履き潰した」と云う。
次の子が出来たら着せようと、ちぃさな赤いぽんし(ちゃんちゃんこ)を縫って祈願のお四国さんである。
その後、御利益を頂いたのか5人の子供は無事成人したのでばあちゃんのお大師さんへの信仰は絶大で有った。

私は、結婚当時からばあちゃんが亡くなるまで同居していたのだが、別府から嫁いで来た孫の嫁を陰に日向にまぶって(守って)くれた。
既成概念にとらわれないばあちゃんと、飛んでる孫の嫁は気が合った。
大好きなばあちゃんであった。
このばあちゃんといっちゃん(舅)がいなかったら、おそらく私達は[母子家庭]になっていたに違いない。

娘(ひ孫)が産まれる時に、黄色い綿入れ(男でも女でも良いようにと)を縫って呉れたのもばあちゃんだった。
又、自分の浴衣を何枚も解いて、おむつに縫って呉れたのもばあちゃんだ。
だから家の子のおむつは地味だった。

子供達の具合が悪いと「南無大師遍照金剛」と唱えながら赤いぽんしを着せ「お大師様まぶって下さい」と祈って呉れた。

今回、お四国さんをお参りするに際し私は、ばあちゃんの写真と父が書いて呉れた[般若心経]とを携えていた。


b.JPGb.jpg


赤いぽんしは私の子供達が無事成長した後、自分のぽんしに仕立て直して着ていた。
ばあちゃんにとっては赤はお大師さんの色なのだ。


素敵なお祖母様ですね

  1. 2006/07/19(水) 09:21:12 |
  2. URL |
  3. 1voryboat
  4. [ 編集 ]
何だか一代記が書けそうな魅力的なお祖母様ですね。
そう言えば母方の祖父にもアメリカ渡航の夢があったとか。
でも密航までの行動力はなかったようです。
ぽんしという言葉がとても懐かしいです。軽くて温かくて重宝ですね。

1voryboatさま

  1. 2006/07/19(水) 12:34:26 |
  2. URL |
  3. bako
  4. [ 編集 ]
お母様のご機嫌はいかがでしょうか・・
当時は「打瀬舟」と云う帆船で1万余キロ、アメリカまで60日掛かったそうです。
実際に密航しコーヒー園を経営して成功している親戚もいます。

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