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桜舞

            Bako・・・可愛い孫たちが付けてくれた愛称。 ちなみに孫たちは[Bakoちゃん]と呼ぶ。  雅号は「水絵」!!風の吹くまま気の向くままに―

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衛門三郎

  1. 2007/06/05(火) 19:59:00|
  2. ■同行二人-風遍路
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
大法山文殊院だいほうざんもんじゅいん

『四国巡礼発祥の地』
遍路をする身にとっては何はともあれここは外せないでしょう。

20070605155209.jpg


昔 浮穴郡荏原の河野豪族の一族で衛門三郎と云う強欲な者がいた。
(その屋敷跡がこの寺)
ある日 托鉢に訪れた坊様の 托鉢の鉢を八つに割って追い払ったと。
翌日から衛門三郎の五男三女の八人の子供が次々と死んだ。
(今も八つの墓が残っている)
坊様が弘法大師だったと気づいた衛門三郎は非を悔いて大師の後を追い四国巡礼の旅に出る。
が、20回巡礼しても弘法大師にお会いすることが出来ず21回目に逆打ちして 焼山寺 のふもとでやっとお会い出来た時は息絶え絶えの死の直前だった。
お遍路さんの白衣はこの時の衛門三郎の死装束に由来するとか・・・

弘法大師はお許しになり 道端の石に
“衛門三郎再来”と記し握らせた。

後年 河野家に男の子が生まれたが拳を開かない。
道後の安養寺の住職が加持してやっと開いた手には
“衛門三郎再来”としるされた石を握っていた。

それ以来、安養寺は 51番札所石手寺 となる。
その石は「玉の石」として石手寺に祀られている。

20070605161531.jpg


ひときわ大きな大師像。
『南無大師遍照金剛』
『南無大師遍照金剛』

20070605161556.jpg


ふと四国遍路の一番札所 霊山寺 がなんで徳島なんだろうと思った。

なるほど

  1. 2007/06/07(木) 12:46:59 |
  2. URL |
  3. Ivoryboat
  4. [ 編集 ]
 聞いたことがあるようですがすっかり忘れていました。どうもありがとうございました。遍路の装束もこの話しに由来するというのは初めて知りました。遍路マニュアルを是非。

要約すると

  1. 2007/06/07(木) 18:55:58 |
  2. URL |
  3. Bako
  4. [ 編集 ]
このようなお話しですね。
もっともっと深い意味あいのあるお話しらしいのですが・・・
私も初めて知ったんです。
お遍路は大師の足跡を辿っての旅ですから、大師にまつわる話は数多くあります。

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