• 2017_08
  • <<
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • >>
  • 2017_10

桜舞

            Bako・・・可愛い孫たちが付けてくれた愛称。 ちなみに孫たちは[Bakoちゃん]と呼ぶ。  雅号は「水絵」!!風の吹くまま気の向くままに―

スポンサーサイト

  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

三婆

  1. 2007/04/25(水) 15:03:04|
  2. ■夜桜一家
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:6
私が嫁いで来た頃 同居していた浜の町ばあちゃん以外に三人の年増がいた。
義母は三人姉妹の末っ子で長女が養子をとって家業をついでいたが、乳母日傘で育った末っ子を心配してかしょっちゅう来ていた。
この三人姉妹、お嬢さんのイメージとは程遠いお顔立ちで若き日の舅・いっちゃんが三人娘を見て
「どれでも良い・・・」と云い
結婚式に見たら
「一番ぼ~っとしたのが嫁いできた」
(いえいえ!いっちゃんのお言葉)
すぐ上の姉は結婚して20代に御主人と死別して以来、家の二階に住んでいた。
若い私にとっては姑が三人状態。
風習も言葉も違い商家のしきたりも分からない私は何かにつけ標的にされた。 
天衣無縫 今で云うキャピキャピの私は島国根性丸出しの排他的なオバサマ方には受け入れ難い生き物だったのかもしれない。
一番上のイ~ねえちゃんはさっぱりした気性で辛辣な事も言うが後がなく割りに公平な態度をとって妹達を叱る事もあった。
「気にせんでいいよ。
云いたい者には云わせとけ!」
良く云ってくれた。

ハ~ねえちゃんと義母は私にとってはどうでも良いような些細な事をうだうだ・ぐちぐちいつまでも小言を云う。
今なら
「それが何か・・・」
とかスルーしたり出来ただろうが・・・
さすがの私も三人の口撃には刃を交えずして敗退である。

―今に見てろ!!窮鼠猫を噛む!いつか噛んでやる―

と可愛いハツカネズミ?の私はリベンジを誓い悔し涙にくれた。
 
義母の口癖は
「人に聞いたけど・・・」
「ある人が云うよる・・」
自分が云うのでは無いと前置きをしてチクチク・タラタラ嫌みを云う。

「すり鉢は ゾーラ では洗うな」
と云われ私は束子で洗った。
ゾーラ が束子だとは知らなかった私。
それを
「ある人から聞いたのだが・・・」
とくる。
知ってるのは[ 義母 ]アナタしかいませんから・・・


職場に置き換えてみると

  1. 2007/04/27(金) 06:57:48 |
  2. URL |
  3. Ivoryboat
  4. [ 編集 ]
お局とは言わないまでも煙たい先輩達はいました。でもあまりいじめられることも無く生き抜いて参りました。私はBakoさんみたいにいざとなったら噛んじゃうことができるので平気でした。幸いお姑さんとは短い間でしたが仲良くできました。同居していたら大変だったでしょうね。

この私が泣かされました。

  1. 2007/04/27(金) 11:01:57 |
  2. URL |
  3. Bako
  4. [ 編集 ]
「いつでも帰って来い」父の言葉に幾度帰ろうとしたか・・
でも当時は夜中の12時発の一便しか船がなく眠った幼子を抱えておしめの大荷物を持って(諦めるしかありません)
いざ噛んでやろう―と云う頃にはアルツハイマーで何を言ってもこたえなくなってました。

目の上のたんこぶ

  1. 2007/04/28(土) 13:53:54 |
  2. URL |
  3. ふたばこ
  4. [ 編集 ]
よく言うじゃないですか
舅・姑のこと“目の上のたんこぶ”って!

なんともうっとしいものですよね
いえいえ“目の上のたんこぶ”がですよ~

わが家の姑は今年満92歳になります
ものごとをお腹にもっていられない性格で
根が明るいのもあって長生きです
もう、こうなると、あとは元気で
“自分のことは自分でしましょう♪”
を合言葉に死ぬまで自立していてもらいたいです

幸い、内臓が丈夫で、物忘れはひどいものの人格破壊は始まっていませんから助かっています
まあ私たちも、ご多分に漏れず、いろいろありましたが
そろそろ忘却の彼方に行ってしまいそうですね

  1. 2007/04/28(土) 14:40:01 |
  2. URL |
  3. KAO
  4. [ 編集 ]
うーん…よく耐えられましたねぇ。
Bakoさんの涙ぐましい忍耐に頭が下がります。
今なら問答無用で「実家に帰らせて頂きます!」でしょうが
当時はそれすらも簡単には叶わなかったのでしょうね。

私は自分の親との同居ですが、それでも煩わしく思う日々。
贅沢ですよね…もうちっと親に感謝するようにします(^^;

ふたばこさま

  1. 2007/04/28(土) 17:48:41 |
  2. URL |
  3. Bako
  4. [ 編集 ]
私の同居していた大姑は93才で亡くなるまで税務署や銀行に行ってましたよ。
お元気なのはなによりです。
「自分の事は自分で・・」
それ一番ですね。
忘却の彼方に忘れさりたいのですが・・・
忘れえずして忘却を誓えませんね(笑)
お互いいろんな時代を歩いて来ましたよね。
嫁の時代があり今は姑の時代・・・
“昭和の日”なんて出来て昭和も遠くなるのでしょうか!

KAOちゃん

  1. 2007/04/28(土) 17:59:17 |
  2. URL |
  3. Bako
  4. [ 編集 ]
時代ですね。
今時ならバツ1だバツ2だ 平気で云いますものね。
まぁ母子家庭にならなかったのは大姑と舅のおかげです。
娘と暮らせる―お幸せだと思いますよ。
同じ事を言われても娘と嫁との温度差は違います。
昔っから「血は汚い」確かに実感します。

 管理者にだけ表示を許可する
 



.

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。