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桜舞

            Bako・・・可愛い孫たちが付けてくれた愛称。 ちなみに孫たちは[Bakoちゃん]と呼ぶ。  雅号は「水絵」!!風の吹くまま気の向くままに―

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母・艶子

  1. 2006/07/04(火) 16:51:01|
  2. ■詠み人・水絵
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:1
 夏さかり 古きまなびや吹き抜ける

           時の流れに亡き母偲ぶ 




宇和町の開明学校を訪れた時の歌。
開明学校は西日本最古の擬洋風学校建築で今だに見学者があとを絶たない。

私の母は、愛媛師範を出て「おんな先生」として伊予の山奥(伊台・五明村)で、教壇に立っていた。
21才年上の父によって九州に拉致されるまでは(まさに拉致されたのである)母には、会った事もない親の決めた婚約者がいて、結婚間近だったとか・・・当時の九州は今のハワイより遠く思えたに違いない。
日毎、夜毎、ふるさとが恋しく泣き暮れる日々であったと云う。 当時の写真を見るとデビューしたての百恵ちゃんを彷彿とさせる、まだ幼い面差しをしていて、見知らぬ土地でさぞ心細かったであろう心情がうかがえる。
後年、伝え聞くところによると花嫁に逃げられた婚約者は警察署長サマに出世されたとか・・



老いたれば 我がふるさとの松山へ 移り住まむと云いいたる母 



そんな母の望郷の念が
 今日も又 丘に登りて佇めば 海路遙かに伊予の山見ゆ 




私が高校生の時に詠んだ歌である。そして初めて「八雲」(田吹繁子主宰)に載った思い出の一首でもある。

その母も40才(数え年)で松山に帰る事なく彼岸に旅立った。 私があちらに逝って、30から上の我が子がわかるだろうか・・それが心配である。

20060704163945.jpg
宇和町の開明学校


20060704164016.jpg
明治時代の教科書を使い模擬授業



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合掌



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テーマ:短歌 - ジャンル:小説・文学


  1. 2006/07/04(火) 20:44:19 |
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  3. manager@MD
  4. [ 編集 ]
なんだか目頭が熱くなりました。

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