桜舞

            Bako・・・可愛い孫たちが付けてくれた愛称。 ちなみに孫たちは[Bakoちゃん]と呼ぶ。  雅号は「水絵」!!風の吹くまま気の向くままに―

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外座夜泣子

  1. 2011/10/10(月) 13:30:52|
  2. ■思い出の糸をつむいで
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  4. | コメント:11
私がちぃさい時、(戦中・戦後)子供の読む本は無かった。
我が家に無かっただけかもしれないが―
いつも父の本棚に並んでいる、明治大正文学全集を眺めていた。
夏目漱石・芥川龍之介・泉鏡花・小泉八雲などは、読んでいた。
文学の機微は理解出来ないままにも、活字を拾っていた。
一番好きなのは、森鴎外の『山椒太夫』。
「安寿恋しや、ほうやれほ。厨子王恋しや、ほうやれほ」幾度も読んでは涙した。
「人買い」や「人攫い」と言う言葉が、普通に使われていて、実際にあり得ると思えたからかもしれない。
幼い時の、親の脅し文句は「サーカスに売る」だった。
それ以外は、子供ながらに絵空事と理解していたのかもしれない。
絵空事とはいえ、蜘蛛の糸をのぼったり、猫に話をさせたり、意に染まぬ人物を動物にしてしまったりなんでも出来る小説家に私もなりたいと思った。

それにしても、島崎藤村・田山花袋・徳富蘆花・樋口一葉
「みんな変な名前、なんで××男とか××子とか無いの?」
同級生たちの名前は、チエ子・フミ子・アキエなどカタカナ名前が半数いた。
さすがにカタカナ二文字はいなかったが・・・
兄に聞くと小説家は本名ではなく筆名で二葉亭四迷は親に「くたばってしまえ」と言われたからとか、江戸川乱歩は外国の小説家エドガ・アラン・ポーを漢字にしたと教えてくれた。

「じゃうちが小説家になったら、筆名は自分で好きにつけられるんやな!うちは外座夜泣子や!」

当時の私は、泣き虫だった。
それも、ありきたりの泣き虫ではなく、ヘラクレス級の泣き虫だった。
兄が睨んだと言っては泣き、かまってくれないと言っては泣き、少しでも自分の気に入らぬ事があれば泣く。
それもメェメェ・ピーピー泣くのではない。
わぁ~わぁ~・ぎゃぁぎゃぁ 泣く理由を怒鳴りながら、泣きわめくのである。
体はちぃさく細く色が真っ黒で、痩せ地の牛蒡に大きな目と口を付けたような、お義理にも可愛い子ではなかった。
水木しげるが見たら、どんな妖怪にしたてただろう!
特に夜泣き?夕食後はいつも泣いていたように思う。
松林の中の一軒家、ご近所に迷惑をかけることは無かったが、うるさくて辟易した母に良く家の外につまみだされた。
真っ暗な戸外に出された私は、座り込み闇に吠える松風に負けじと声をかき消されないよう、ひと際大声を張り上げて泣き叫ぶのである。
涙は枯れても声は嗄れることなく、この時の鍛練が功を奏したか、いまだに大声には自信があるし、多少の音読で声が嗄れることはない。
そこで泣きながら
「やっぱりうちは外座夜泣子や!」

今にして思えば、あれは寝くじ?!だったのだろうか・・・

そんな手に負えない泣き虫の私も一歩外に出ると、泣き声はおろか涙の一しずくもこぼさない「外弁慶」であった。

『外座夜泣子』 は実現することなく終わったが、丈夫な声帯だけは健在である。



成人して後日、大泉の東映撮影所で「安寿と厨子王丸」アニメーションの吹き替え現場を、見学する機会に恵まれた。
安寿は佐久間良子・厨子王は北大路欣也だった。






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