桜舞

            Bako・・・可愛い孫たちが付けてくれた愛称。 ちなみに孫たちは[Bakoちゃん]と呼ぶ。  雅号は「水絵」!!風の吹くまま気の向くままに―

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母の贈り物!

  1. 2011/08/19(金) 18:45:20|
  2. ■Bakoの事
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父方の従姉妹は、二人姉妹だったが、もう早くに、他界。
姫路・大阪に嫁いでいたが、従姉妹の子供たちの消息は知らない。

母方の従姉妹たちも、祖母亡きあと伯父・伯母が亡くなると従姉妹達もそれぞれに嫁ぎ、母の実家は無くなり疎遠に・・・
子供の頃、母に連れられて行った実家で、良く遊んでもらっていたマユ姉ちゃん(カゲユの姉)とは、年賀状のみの交流が、細々と続いていた。
そのカゲユも若くして故人となり、ご主人の転勤や私の三度の引っ越しで、途中途切れた事もあったが・・・
最後に会ったのは、私がまだ10代の頃、誰かのお葬式だったと思う。

数少ない、従姉妹のマユ姉ちゃんの電話番号を、今年のお盆に入手した。
私の安否を問い、逢いたがっているとも聞いた。

私はさっそく電話した。
どんなおばあさんが出るかと、期待と不安に駆られながら・・・
若い時と同じ可愛らしい、しっかりした声!
「マユ姉ちゃん、私わかる?」
「リョウちゃん?」
間髪を入れず、弾んだ声が返ってきた。
歳を聞くと、私と4歳しか違わなかった。
昔は、ずいぶん、お姉さんだと思っていたが・・・
二人の子供は結婚して遠くにいること・ご主人も10年前に他界して一人暮らしとのこと。
ご主人が亡くなってから、1年半かけて、お遍路して結願したこと。
足腰は丈夫なので、良く歩くのだが、家に帰る道がわからなくなっては、車で帰ってくる等々。
もともと、おっとりした人だったので
「らしい・・・わ」と大笑いしながら、50余年のお互いの来し方を話し合った。
昔の悪さのあんなこと・こんなこと―私は全然覚えてない!

「叔母ちゃんがね・・・」と若き日の母を語る。
この世で、生前の母を知る兄以外ではたったひとりの人である。

「泊まりがけで遊びにおいでよ」
「足腰が丈夫なんだから、姉ちゃんの方が来てよ」

お盆に思いがけず、懐かしいマユ姉ちゃんと母の思い出話が出来た。
何か母からプレゼントをもらったような気がした。
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幽かなるモノ!

  1. 2011/08/09(火) 17:05:31|
  2. ■Bakoの事
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私が、初めて「それ」に会ったのは、47年前の10月29日。
何故、これほど克明に覚えているかと言うと、息子の産まれた日なのだ。

前年、娘を出産した時は、まだ以前の病室で畳敷き、冷暖房など当然無く、母子の寝具も持参したし、暖をとるのに火鉢まで持ち込んでいた。
入院中は火鉢の上でおしめを乾かしていた。
その後、冷暖房完備の新病棟が出来、寝具も新生児用の衣類もおしめも退院までは、病院側で用意してくれると言う事で、身軽な入院だった。
病室にはクリーム色のカーテン・ベッドには真っ白なカバーリングされた寝具が・・・付添い用のベッドまで完備されていたが、何故か枕が無かった。
「枕は・・?」
私の言葉が終わらぬうちに、おかしいほどの狼狽ぶりで、病室に案内してくれた看護婦は駆け出し、枕を持って来た。

看護婦は二三の注意事項の後で、
「それから枕は絶対に、持って帰らないでください! ねっ!」
私と、付き添いの遠縁のサヨちゃんに念を押して言った。
「はい」
と返事はしたものの、看護婦が立ち去った後
「そんなに、良い枕かぁ」
念をおされるほど、高価とも思えない、ちょっと小ぶりのソバガラの枕を、眺め不審に思った。

予定日は10月の初めだったが、居心地が良いのか、なかなか兆候を現さず、この日が限度と帝王切開での出産だった。

その夜。
ふと、目覚めると、ベットの足もとに腰かけて、オレンジ色の寝巻を着た、女の人が赤ちゃんにお乳を飲ましていた。
私は術後、腹部に砂袋をおかれ、アーチ型の金具を装着され、身動き出来ない状態である。
大きな声を出すのも、傷口に響いて痛いので、小声で
「誰か部屋間違えて、入ってきとる・・・」
横で寝ているサヨちゃんを起こした。
「どこに・・・?」
寝ぼけ顔のサヨちゃんに
「ほれ、足もとにオレンジ色の寝巻で乳飲ませよろうが」
「・・・・・」


次の日、サヨちゃんが聞いてきた話。
この部屋で、難産の末、赤ちゃんを産んでお母さんは亡くなった。
助かった赤ちゃんだけが、まだ新生児室にいること。
お母さんはオレンジ色の寝巻を着ていた。
亡骸を家に連れて帰る際、病院の枕も一緒に持っていったらしい。


一週間後の夜、サヨちゃんに車椅子でトイレに連れて行ってもらった。
個室のドアを開けたら、オレンジ色の寝巻が―

私は声を発する間も無く、その場で気を失った。

この話を聞き、父は「般若心経」と「御守」を送って来てくれた。


余談ではあるが、この時、隣の病室に裕次郎の叔母さんが入院していて、裕次郎がお見舞いに来たとかで病院中、大騒ぎだった。


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