桜舞

            Bako・・・可愛い孫たちが付けてくれた愛称。 ちなみに孫たちは[Bakoちゃん]と呼ぶ。  雅号は「水絵」!!風の吹くまま気の向くままに―

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千の風に吹かれて―(2)

  1. 2009/11/28(土) 13:41:18|
  2. ■えとせとら
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その夜の電話―
「もしもし テルヤ です・・・」
えぇ~また、出た?!か・・・
「じいちゃんが今日、亡くなりました。最後に会ってやって下さい」
と、お通夜・葬儀の日時を、沈んだ声で告げて電話は切れた。

テルヤのじいちゃん、私たちは「トシちゃん」と呼んでいた。
多分、今の時代「トシちゃん」と呼ぶのは私達以外には、おそらくいないだろう。
みんなは「先生」と呼ぶ。
トシちゃんは、10代の頃から 浜の町ばあちゃんを親代わりとして育ったらしい。
なにさま古い話なので、さだかではないが、ひょっとしたら浜の町ばあちゃんの遠縁だったのかも―
工場でいつも椅子を作っていて、幼い日のJIKOに木片で刀を作ってくれたり、遊び相手をしてくれたそうだ。
戦時中は軍隊にいき、戦後無事、帰還して教師を目指した。

私の知っているのは、この教師時代からのトシちゃんで復員服と呼ばれた軍服で、小脇にいつも風呂敷包みを持って「おかみさん」「おかみさん」とばあちゃんを慕ってよく訪ねて来ていた。
ばあちゃんも「トシよ」「トシよ」と可愛がり、なにかと相談にのり、身元保証人にもなっていたようだ。
その色あせた書類をトシちゃんは大事にしまっていて、後年見舞いに行った折にも出して見せた。

ばあちゃん亡き後、自転車に孫を乗せて、店にちょいちょい顔を出していたが、色の黒い目のくるくるした幼子が、のちのテルヤであろうことは知る由もない。

時は流れて―
私たちも、商店街をはなれ、その後トシちゃんと会うことも無かった。
時を同じくしてトシちゃんは体調を壊して入退院を繰り返していたようだ。
テルヤのお化けの相談にのったりしていたが、テルヤがトシちゃんの孫だとは知らなかった。

お正月恒例の高校のラグビーOB戦を応援に行った日。
車椅子にのって、「孫の応援に来た」と言うトシちゃんと再会。
その孫が、誰あろうテルヤだったのだ。

それからは、度々入院中のトシちゃんを見舞い、ばあちゃんの、テルヤの話に花が咲いた。
漢詩や短歌を詠み、因数分解を解きと、右半身不随になりながらも左手で器用に文字を書いて最後まで勉強していた。
最後に見舞った時には、多分私はわからなかったと思うがJIKOには、ばあちゃんのことを話していた。

お葬式 (32)

式場に行くなり案内されたのが一番前の貴賓席!
びびって後ろに行こうとするのに
「じいちゃんが喜ぶから―」
そう言われれば 「はい!」
教育長と並んで席へ・・・
東京から駆けつけた教え子の弔辞が、これまた、とても良かった。
「質実剛健・頑固一徹」の先生のエピソードの中に、椅子を寸分の違いもなく上手に作ったと言うくだりが有って、思わずJIKOと顔を見合わせた。
葬儀が済み、帰ろうとすると
「是非、じいちゃんが喜ぶから―」
と、精進落としの席まで用意してあって・・・
「浜の町の話はいつもしていました。どうぞ!どうぞ!」

じいちゃんっ子だったテルヤは、じいちゃんの最後を写真に残していた。
まるで何かの事件現場のようなモノクロ写真。
小声でテルヤに聞いて見た。
「どう?最近は出ない?」
「うん。出ない。仏さんはよく見るけど・・・」
「えぇ~~!仏さまぁ!(絶句)・・・良かったな?」
霊が見えたり、仏さまが見えたり―この子いったいどんな子!?
「いや・・・死体やけど」
「はぁ~~~」
(彼はこの4月から警察官になっていたのだ)

帰りには、又
「じいちゃんが喜ぶから―」
を連発されて抱えきれないほどの白菊を頂く。
お葬式 (40)

お葬式 (41)

帰宅後、娘にその様子を話すと
「Bakoの葬式の時も、みんなに良く言って貰えるよう頼むで!あいつの孫かって石投げられんようにしてよ」
「ちょっと待て!それよりヘッドホンして(罵声は聞かず)ヘッドギア付けて(投石に備えて)猛ダッシュ出来る力を孫につけておけ!」
「えっ~!そっちかい!!」


次の日、Miyaちゃんが来る予定になっていた。
例によって大きな荷物は、すでに届いている。
Miyaちゃんから電話があり、妹のだんなが危篤の知らせが入ったとのこと。
「急遽、宮崎向いて行かないけんようになった。着替えも全部送っとるけど・・・。
土産だけ出して食べてや」鶴の子
土産



宮崎から訃報が届いたのは二日後のことであった。
千の風になられた方々の、ご冥福をお祈りいたします。


合掌。




 
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千の風に吹かれて―(1)

  1. 2009/11/24(火) 18:25:12|
  2. ■夜桜一家
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  4. | コメント:11
この一週間、訃報が相次いで届いた。

第一報は、まだ若い甥の不慮の死。
思いがけぬ悲報。逆縁に慟哭する両親。
車と音楽が趣味の、いたっておとなしい真面目な好青年だった。
「彼女は出来た?・・・」いつも冷やかすと、はにかみながら首を横に振っていた。

K家一族にとっては昭和62年、義母が亡くなって以来の葬儀。
見まわしてみたら私達が最高齢になっていた。
20数年前とは葬儀も様変わりしていて戸惑うばかり。
嘆き悲しみながらも、JIKOが長老として相談相手となり、段取りを決めていく。
『役付』に親戚縁者の名前を書き込んでいくJIKO。
東京はじめ各地から駆けつけた親戚縁者。20年の間には、甥・姪の子、従兄弟の孫・・・顔も名前も知らない子供たちが増えていた。
「おい!ききちゃんとかほほちゃんとか呼び名やなしに本名で言うてくれや!」とJIKO。
「それ、本名です。キキは魔女の宅急便のキキ」
「トキは鳥の朱鷺か?」
「いえ、トマトのマをキに・・・トキトです」
「ふーん!、ほほ・のあ?は・・・」
「ホホは頬のホホ」
「ノアはノアの箱舟のノア」
それぞれの親が口々に言う。
「今の子の名前はややこしいのぉ」JIKOの感想。

お葬式 (2)

今年の9月に新築落成したばかりの『○○○○霊苑』
お葬式 (29)
千の風になって、晩秋の空の彼方へ・・・

お葬式 (6)

お葬式まで2時間あったので帰ってご飯をたべていると電話!
喪服(和服)を着るのに着つけを頼まれていたのを忘れていたのだ。
式場の控室で着せることにして駆けつけた。
「全部持って来た」と言うわりにはちぃさな紙袋だとは思ったが・・・
普段から着物には縁のない暮らしの私よりうんと若い彼女。
腰紐3本だけ・伊達締め・帯枕なし。
長襦袢の裄が着物より5センチ長い。
「紋付はばあちゃん、長襦袢は娘のもの」だと言う。
クリップを4本貰ってきて、長襦袢の袖を止める。
どうにか形になったところで
「あっ!草履忘れた!」

何の躊躇もなく、白足袋のまま、履いてきた革靴を履いた。
(どんだけ、大きなドタ靴だったんだ~)
黒紋付に革靴、その格好で式場へ・・・

「おまえ!坂本竜馬か!」JIKOの驚いた声!

お葬式 (30)

菩提寺が隣市にあるので、隣市から来られた御住職はじめ5人のお坊様。
声が良くて諷誦が心地よく、ひさしぶりに良いお経を聞いた。

告別式のあと、司会者が
「5分後に49日の法要を行いますので御親族の方はお残り下さい」
葬儀の間中、肩を震わして一回り小さくなったように見えた喪主。
ひょっこり立ち上がると、係の人に
「帰っても良いですか」
しーんと静まりかえった中での一声。
「喪主が帰ったらいけんやろ!」
不謹慎にも思わず笑ってしまった。
あちらこちらでひそかな笑い声が・・・
竜馬の彼女もあわてて喪主を引き止めた。
今、思えば早くひとりになりたかったのかも知れない。

精進落としの席で
「あんないい子がなぁ・・・」
「良い子は神様も欲しがるんよ」
「こればかりは順番通りやないなぁ!」
「ねえさんは長生きすらい・・・」ってどういう意味?

みんなの視線が痛い!と思ったのは、思いすごしか・・・

帰りにはたくさんの花を頂いて帰る。お葬式 (37)

家に帰り、やれやれと熱いお茶をいっぷくしていると
携帯が鳴った。
電話の主は・・・・









へぇーんしぃーん!

  1. 2009/11/20(金) 13:43:43|
  2. ■夜桜一家
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  4. | コメント:7
ちょっと諸事情があって、取りあえず非公開にいたしました。
コメント頂いた方、ごめんなさい!
後日、改めまして・・・UPいたします。

ナマ文珍さん

  1. 2009/11/14(土) 13:52:26|
  2. ■Bakoの事
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  4. | コメント:8
Tochiが商工会議所主催の『ふれあい講演会』のチケットがあるから―と持って来た。
講師は桂文珍さん!
ちょうど広報で私が音声訳したところだった。

文珍 (2)

チケットを財布から出すのに、万札が見えたので
「それも、頂戴!」 手を突き出すと
「これは、手を噛まれるけんな・・・」
私がTochiのちぃさい時言ってた言葉どおりに返された。

友人に2・3電話して誘ってみたが、おりから当地では新型インフルエンザの感染が拡大しているとのことで、人混みには出掛けたくないと―
あまり、気乗りのしない様子のJIKOを引っ張り出した。

車をロンドンに置き、声を掛けると
「どこへ行くん?」
「文珍さんの講演会」
「文珍さん、うちで今チャンポン食べよるで・・・」

文珍 (5)

文珍 (8)

マネージャーと会議所の人と三人でチャン定食べていた。
決して隠し撮りじゃないよ!
その証拠
文珍 (9)

サイン色紙を頂いた。

文珍 (6)

『落語的学問のすすめ』ってテーマで1時間20分。
さすが落語家、扇子と手拭を小道具に、時事風刺も交えながら、洒脱な語り口、小噺を時折はさみ、嫁が東予の新居浜の出であることなど・・・(東予の女はきついと)楽しい、笑いっぱなしの講演会だった。

『八幡浜に来ましてな タクシーの運ちゃんに「ここの名物なんや」聞きましたらチャンポンやと言うことで(ロンドン)言う店に連れていてもうてな。ちょうど八日市たら市がたってまして、そ~りゃ、忙しそうにしてましたわ。働いてはるのんは20人ほどのおばちゃん。わてが還暦60やから、わてから見てのおばちゃんですわ。それがみな元気でなぁ!どこみても、どこさがしても若い子ひとぉりもおりまへん。女の人、特にお年寄りおばあちゃんが元気ですわ。
せんだってもな、エスカレターに乗りましてな「ベルトにおつかまり下さい」後ろからわてのベルトをぎゅとおばあちゃんに握られまして誤解(5階)が誤解(5階)をうんで10階までおばあちゃんひこずって上がりましたわ。んでおばあちゃん「ブンチンサンオゲンキデ。マタアイマショウ」(ビブラートのきいた高い声)まるで宇宙人ですわ。
宇宙人と話でけるの鳩山夫人の幸さんとわて、この世の中に二人だけ。
それに比べておじいちゃん!
かっこいいハイカラなおじいちゃんがおりましてなジャージーのローライズ穿いてますのや。お尻の割れ目、はんぶん出しましてな!
「おしゃれやなぁ・・・」よう聞きましたらジャージーずり落ちても、上げる力がない~』

八幡浜名物ロンドンのチャンポンをつかみに年寄りネタで大いに湧かした。
それと意外だったのは歌のうまいこと!

泣けるシーンはみんな同じに泣ける―が笑いどころはそれぞれ違う。
『涙腺じゃなく笑腺が同じ人、一緒になって笑える人、その人はかけがえのない人です』

「想像以上に面白かった!まだ話聞きたいと思った!」とTochi。
大きなTochiをまん中に、久しぶりに商店街を歩いた。



負けられません!

  1. 2009/11/08(日) 09:46:31|
  2. ■Bakoの事
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:9
“八幡浜笑人”の取材も大詰めに入り、私の担当は体調が悪かった分、大幅に遅れてしまった。
取材日程は決まったものの今度は私の班の高校生が、文化祭前と言うことで参加できない。
土曜日の午後、ぴーちゃんにアシスタントを頼んで、別の班のカメラマンN君と「明屋書店」の駐車場で待ち合わせ、車一台で行くことになった。
急遽の応援なのでN君とは電話とメールでしか・・・面識がない!?いや一度くらいは、製作委員会で会ってるとは思うのだが、一緒に行動することが無かったので、気にも留めてなかった。
「どんな人?」   「さぁ~?」
「いくつくらいの人?」  「さぁ~?」
「どんな車?」   「さぁ~?」
「Shinちゃんみたいな感じがしたような~違うような?顔は全然覚えとらん」
相手が分かるやろう―取りあえず駐車場の入り口で二人が立って、それらしい人が来るのを待つことに・・・

それより私の気になっていたのは今日の取材者。
おん年95歳、老人施設の入居者。
息子さんと施設側には了解を得ているが、取材になるのだろうか―その方が心配だった。

無事、N君と合流出来てぴーちゃんの言によると
(イケイケ車やなぁ―フロントには真っ白なファーが一面に・・・その上にはピンクのぬいぐるみ、バックミラーはキラキラストーンがびっしり貼られていてビラビラ水滴のようにビーズが下がっている)
「彼女の趣味なん?」
「いや・・・僕です」
「いくつなん?」
「33です」
「なにやってるの?」
「介護士です」

95歳のOさん。
矍鑠として「お待ち致しておりました」
「何からお話しましょうか」
とても95歳とは思えない上品な物腰、的を得た話し方。
若い時は、さぞ綺麗な人だったんやろうな!
まったくの杞憂だった。
習字・日本画・日本舞踊・読書が趣味で93歳まで踊っていたとか・・・
日本画は今年「息子の肝いりで個展をやりました」
毎朝、小一時間かけて写経をし、一年分365枚、毎年高野山に納めるとか・・・
見せて頂いたが書道が趣味と言うだけ有って、綺麗な絵のような文字で書かれた写経だった。
「筆は安物では、すぐ駄目になり使えませんが、良い筆は大事に使うので長く使えて良い字が書けます」
日本画はすべて花々が描かれていて、一部ですがと部屋の壁一面にきれいな花々が咲き誇っていた。
「花とは会話しながら描きます」「花の気持ちを描きます」
「読書が趣味と伺いましたが、作者はどなたがお好きですか」
「一番好きなのは司馬遼太郎それから藤沢修平・山本周五郎・五木寛之」
「死ぬまでに司馬遼太郎を読み切ってしまいたい」
図書館に通っていると、机の上には司馬遼太郎をはじめ3・4冊図書館の本が積んであった。
それから“坂の上の雲”“街道をゆく”の話に花が咲いた。
これからの八幡浜は・・・
と言う話になり、昔は5・60年前は・・・

ハイ!この時点で若いふたりついてこれません。
「でしょ?」 「はぁ~?」
「だったんです」 「へ~!?はぁー?」

最後に
「この施設にはまともに話せる方がいないのが淋しいです」

「その元気わけて頂きます」とハイタッチ!
今まで同年代、まして年上(それも20歳以上)負けたって思った事無かった。
今回ばかりは負けたかも・・・

「今日の取材、Bakoにしか出来んな」
ぴーちゃんが言った。

決めた!これからも製作委員やる!最高年齢更新する!

若い子の出来ない取材やる。

次の取材まで時間が空いたので、釜の倉(ちょっと市街地)までコスモス畑を見に走る。
事故んなよ! このメンバーで事故ったら、私は介護されていて孫が付き添っていたって―なるやろ。
そんな心配をしつつ
取材 (5)

取材 (4)
案山子と戯れるN君!
007.jpg

取材 (2)

取材 (8)

夕方からは『郷土芸能五反田唐獅子保存会会長・二宮さん』の取材。
いつも練習している神山小学校の通路が落ち着くとのことで―
取材 (10)
レフ板かざして活躍するぴーちゃん。
取材 (12)

取材 (11)

ユネスコ・アジア文化センター主催「第2回コミュニティにおける無形文化遺産活性化の優良事例コンテスト」では国際審査で惜しくも落選。
シドニーでの演舞は出来なかったが、愛媛県県民総合文化祭に参加決定等、熱い話であった。
又、今年から女の子も4人ほど太鼓を叩いたのだが、長老から非難されたとも・・・
少子化の影響もあるが、
「なぜ女の子は駄目なのか!」
若い親御さんには詰め寄られ
「昔はジゲ(地元)の生まれで、それも長男でなければ叩かせて貰えなかった」
ここで又、「昔の祭りはなぁ~」と昔の話になり若い二人は
「はぁ~!?」
「はい?」「へぇ~!」

獅子にも“雄”と“雌”とがあること。
八幡浜には“雄”の獅子は2匹しかいないこと。
取材

これは“雄”

普通は被る獅子頭を、手で持って舞うこと。
獅子頭

「五反田の唐獅子が一番。地方色豊かなお祭りを後世に伝えたい。唐獅子大好き!」
と一生懸命、力説する二宮さんだった。

YGP(八幡浜元気プロジェクト) くれぐれも“Y”=はヤングじゃないよ!
元気を頂いた、楽しい取材だった。

私の担当、後ふたり。
原稿の締め切りまで頑張っていきまっしょい!






晴流奏(はるるかなで)

  1. 2009/11/01(日) 14:24:28|
  2. ■えとせとら
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  4. | コメント:15
晴流奏=ブログでお友達?になった時雨ちゃんの雅号である。 
20代で孫に近い年代の、しかも男の子。
今時の若い子がどんな歌を詠むのか、興味もあってちょいちょい覗いていた。

独特の感性をもち、非常にピュアな、若々しさゆえの荒削りな面もありぃの・・・
またそれが新鮮・斬新な感覚だったりして・・・
時にはシュールな一面を醸し出したり、ときには研ぎ澄まされたナイフかと思えば、子猫のようなナイーヴで、家族愛にあふれた歌であったり―
世渡りが不器用で、(手先は器用なんだけど)ジェンガのような不安定な心情、青春時代に誰もが感じる苦悩・挫折。
いずれにしても私にとっては清々しく新鮮な歌であった。

ある日の「読売歌壇」
一首の歌が私の目に止まった。
『切り札を手に入れるまで揃わない カードを捨てる様な毎日』
(これは絶対、時雨ちゃんの歌だ!この独特の感性は・・・)
すぐさまメールで問い合わせた。
やっぱり、彼だった。

歌集を手作りしていることを知り送って貰った。
それと趣味の消しゴムハンコで落款も作ってと―お願いした。

時雨歌集 (2)
お願いしたのは、名前の一個だったが「水絵」とおまけに「スーパーBako」の横判まで・・・
本当は、雅号も欲しかったのだが・・・そこまでは、いくらなんでもと気が引けて遠慮していたので嬉しかった。


『嘘をつきおどける君に騙された 気付かなかったとまた嘘をつく』
恋
『好きな色ばかりで描く恋心 短い僕の赤いクレヨン』


たまたま「文字」のページの写真だがイラストだったり地模様だったり各頁、なかなか手の込んだ趣向である。
ただ、一つ残念なのは製本がホッチキスで止めてあること。
(やっぱりこんなとこは男の子かなぁ!)

添えられた和紙風便箋2枚の手紙。
・・・不思議な気分です。ネットってすげー・・・。
等と書かれてはいるがしっかりした文脈で新型インフルエンザのウイルス予防など優しさに溢れた手紙で
また、ブログでお会いしましよう。ばいばい♪

カメラ(ペン君)が好きで、本が好きで、ゲームが好きで、消しゴムハンコ作りが好きで、歌を詠んで・・・
色の生っ白い文学青年をイメージしそうだけど、サラサラヘアーの、手指の表情の綺麗な、い・ま・ど・き。の男の子。
鏡の前のセルフポートレートで、主役はペン君なので、顔は今一定かではないが、多分イケメン!

『それにしてもネットってすげー!・・・』







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