桜舞

            Bako・・・可愛い孫たちが付けてくれた愛称。 ちなみに孫たちは[Bakoちゃん]と呼ぶ。  雅号は「水絵」!!風の吹くまま気の向くままに―

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編集

  1. 2009/02/24(火) 17:13:46|
  2. ■Bakoの事
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  4. | コメント:6
取材と並行して原稿、編集が始まった。
11月、12月、1月多忙な3カ月。
痛み止を使用しつつ痛い足を引きずって取材に原稿書きと走り廻った。
各自PC持参なのだが、調子が悪いので私は家で原稿を書きメールで送ったりメモリスティクに入れて持って行った。
ある日、かずくんが
「控えおろう!今日からVistaだぞ」
3・4人の高校生がかずくんを取り囲みPCを覗く。
「ふ~ん。メニューバーは?」
「ツールバーとか違うなぁ!・・・」

見ていた高校生が各々の席に帰ったあと
「リボンのタブが多すぎてかえって使い辛くね?」
ちぃさな声で言った。
驚いて振りむいたかずくんは(私を見て確実に2度驚いたな)
「たしかにぃ!」
「で・・・時々こうなる」
私の不具合と同じような状態だったので
「エンター連打してみ。うちの場合はそれで直るわ」
かずくんは連打して
「たしかにぃ!クィックアクセスのリボンがちぃさすぎて・・・」
私は“うん”と頷いてウイッシュ!!して離れた。
多分、この日まで私はPCを打てないと思われていた。

他のPCはXPだったしエクセルでの原稿制作だったので問題はなかった。
私は最初からエクセルでトライしたのでワードよりエクセルの方が得意だ。
高校生達はなるほど、打つのは早いけど操作に関しては私の知ってることの方が多かったりして・・・
「同時にファイル開けてコピペしたら・・・」
「それ、そのまんまドラッグでいけるんじゃない・・・」
「こうすれば全部の写真、一覧出来るよ」
椅子をくっつけて一緒に原稿づくりする。

S女史が2種類のレイアウトを作って
「AとB―どっちが良い?」
私はAだと思ったけど、ゆいちゃんに
「どっち?」
即座に「B!」
「B!」の声が多い。
「理由は?」
「タイトルの場所が、かっこ良い」
やっぱり―こんなところがセンス!いや年の差なんだな!

私は字の大きさと読みやすさだけで選んでたもんね!





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取材

  1. 2009/02/12(木) 17:05:54|
  2. ■Bakoの事
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  4. | コメント:7
ターゲットが決まると取材が始まった。
3・4人がチームを組んでアポをとりデジカメ・ボイスレコーダー・予備の電池・充電器を入れた袋を渡され訳も分からぬ者同士(一度リハーサルはしたんだけど・・・)
最初はゆいちゃん(16歳)と、かずくん(17歳)。
ゆいちゃんとは最後まで同じチームだった。
カメラマン・インタビュアー・レポート制作係を決めて―
当たって砕けろ!(日本語通じりゃどうにかなるやろ)的な取材が始まった。


DSC02744.jpg

DSC02757.jpg

コピー ~ 191

路上でライブをしながらロックミュージシャンを目指す少年(高校3年生)の取材。
「座右の銘は?」
「なに?それ?」
聞き返されて、ゆいちゃんは私を見る。
(自分たちで作った質問項目だろ・・・)
「格言!」と私。
「へぇ?」
「常に心がけてること」
「早起き」(新聞配達してるもんね。じゃあ無くて―)
「こう、しょうとか、そうなりたいとか(人生の指針―無理か?)」
「ロッカーになりたい」
「じゃあね。好きな言葉。いっつも言ってる言葉」
「気合だぁ!ー」

お寺

名僧

古い街並みガイドの取材で龍潭寺へ行った時のこと。
住職が
「石原家の墓所があります」 とちょっと自慢げに案内してくれた。
石原都知事が年に一度は墓参に来るし、ご両親の出身地がここ、保内だと言うのも知ってはいたが菩提寺が龍潭寺とは知らなかった。
私が息子のお産で入院していた時、隣の部屋に裕次郎さんの叔母さんが入院していて裕次郎さんがお見舞いに来て病院中、大騒ぎになった。
「石原家」になんの興味も示さないゆいちゃんに
「ほら、裕次郎」
「・・・・」
「裕次郎知らんの?石原慎太郎の弟」
「・・・・」
「石原都知事知っとるやろ?」
ゆいちゃんとまみちゃんは顔を見合わせていたが・・・
「良純さんのお父さん?」
(そっちかい!)

ガイドさんが
「三本松からグラマンが来て・・・」
「グラマンって何?」
「グラマン・B29 敵機 アメリカの爆撃機」

「戦争の話お父さんやお母さんに聞いたことない?」
二人とも頭を振る。
「お母さん幾つ?」
「38です」「42歳」(そりゃ無理やな!)
「おじいちゃん、おばあちゃんは?」
「ばあちゃんが59でじいちゃんが62かな?」
祖父母さえ戦争を知らない世代なのだ。
ガイドさん自身「聞いた話ですが・・・」と説明していたもんなぁ。

再び愚かな戦争のないことを祈りつつ、たわいない話題で弾ける若い子を乗せて車を走らせた。







船出

  1. 2009/02/01(日) 17:33:13|
  2. ■Bakoの事
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  4. | コメント:6
船名も行き先も航路も決定しないまま、大きな夢だけを乗せてYGPの本制作の船は進水した。
いかなる情報を誰にむけて発信するのか?
何をアピールしたいのか?

観光客!
観光地?観光施設?どこ!?

国木農免道路から宇和海を望む景色はイタリヤのフィレンツェよりも美しいと絶賛されている?
S女史が力説するけど
(私、そもそもイタリヤのフィレンツェ知らんもんなぁ~)

駅・港にレンタサイクルおいて保内の古い街並み探訪!
片道20Kあるよ。
「僕も私もチャリで通学してます」って高校生は言うけど・・・
古い街並みでも散策しょうってのはオジサン・オバサンだよ。
年間、市外から観光客が何人くらい来るの?

夢を壊さないように、言葉を選びながら疑問を投げかける。

結局、テーマは「人」に落ち着く。
今、八幡浜で元気な人、輝いている人。
頑張ってる人にスポットをあてエールをおくると共にその人からみんなも元気を貰おう。

テーマが決まってからのS女史の活躍は、さすがに目覚ましいものであった。
彼女の見事な水先案内で進路の決まった船は走り出したのだ。
目的が決まれば高校生たちの活力・行動力はすさまじい!
寒さにも負けず、雪にも負けず、東に元気な人がいると聞けば、即、駆けつけるし、西に頑張ってる人がいると聞けばリサーチに余念がない。
なかには毎朝、通学途中で元気に挨拶してくれる人とか、学校の近所のお店で美味しいアイスを何十年も売ってるおばさん!とか―

打ち合わせは、放課後か土・日の夜なのだが、若い子は寒くないのか!エアコンなし。
たまに出る飲み物も自販機の冷たいお茶。
寒さに耐えかねて3度に1度は欠席する。
「ごめん!南国生まれなもんで・・・」

委員会


連日、携帯に絵文字いっぱいのメールが来る。
アンケート用紙一枚にしても訂正・訂正・改正と・・・手探り状態ながら進んでいく。
アンケート欄に「八幡浜の嫌いなところは?」
「それよか八幡浜を良くするには―の方が良くない?」
私の一言でまた改正。

竹細工の名人が「高野地御神楽」「雅太鼓」と同じ伝統芸能に・・・
「竹細工だったら伝統工芸だよ」隣の高校生に耳打ちする。

かくして『八幡浜笑人』と命名された船は出港したのである。

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