桜舞

            Bako・・・可愛い孫たちが付けてくれた愛称。 ちなみに孫たちは[Bakoちゃん]と呼ぶ。  雅号は「水絵」!!風の吹くまま気の向くままに―

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おいらはドラマー

  1. 2008/03/30(日) 17:18:47|
  2. ■えとせとら
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「風の道」録音の本番も終わり校正してCDのジャッケットの撮影に出掛けた。
サブタイトルが“千丈川”なので・・・・
千丈川に向かう。
ぼかし

千丈川 009


桜は5分咲きだったが菜の花は満開で川底にはちぃさな魚が群れていた。

撮影後、プリンタのインクが少なくなっていたので大洲まで走る。

スーパーで“うぐいす餅”とお茶・コーヒー(Jiko)を買い肱川の河川敷に降りた。
家族連れや子供達が遊んでいるのを眺めながら大洲城の見える場所に移動していると、はるかかなたでイーゼルを立てている人がいた。
ちょうど大洲城の正面あたり・・・
 
         千丈川 013


だんだん近づくにつれジャズ!?タイコ!?

千丈川 017


kawa.jpg


黄色いスポーツカーの車からコードがのびて電子ドラムを叩いていた。
ガンガンにボリュウムあげてヘッドホンをしサウンドにあわせて電ドラを叩いている。

何を隠そうJikoは50年前タイコ叩きだった。
(かっこよく云えばドラマー)

私達が近づいたのに気づいたその人は手を止めヘッドホンをはずして会釈した。
あたりにはスティックが散乱しCDケースやスネアが・・・・
横から見てイーゼルと思ったのはローランドの電子ドラムだった。

「ジャズしてますねぇ!」
Jikoを見て云った。

Jikoの名誉のために付け加えるが、別にJikoは頭を振ったりひょっこひょっこ踊ったりしていた訳でもなく私から見れば特別変わったアクションをしていたとは思えないのだが・・・・

「一目見てわかりましたよ」と云う。
「雰囲気がジャズです。ダンモ(モダンジャズ)な感じ―!」

「いやボクが(おら~とは云わなかった)叩いていたのは50年前ですよ。
白木秀雄やジョージ川口の時代で・・・・」
売れる前の秋吉敏子がピアノを弾いていたバンドでタイコ叩いていたのだ。。
東京から5年前に来たとその人は云った。
趣味で叩いているが東京では××××のバックで叩いたり◯◯◯◯とジャム・セッションをした事もあると・・・・
(私の知らないシンガーやミュージシャンの名前をあげた)
マルタも知り合いだとか・・

それから二人はタイコについてジャズについて語り出した。
千丈川 014


アートブレーキーだソニーロリンズだ・・・・
「これで(電ドラ)ブルマー出来ますか・・!?」とJiko。
「結構、力がいるので軽くスネア打つ調子では出ませんね」
「これちょっと古いんですよ。新しいのが欲しいんですけど~」
「中古でも50万はします」

「オカズがどうたら~こうたら」
(決して今夜の夕飯の話ではない。どうやらアドリブのことのようだ)
二人の楽しそうなやりとりを見ながら私は後ろの石段に腰掛けて熱いお茶でうぐいす餅をほうばっていた。
「打ってみませんか・・・」
いやいや!と手を振って断ったJiko。
後で
「本物のセットなら叩いてみたいけどあんなゴム叩くのはいやだ」
確かに近くで聞いているとゴムパットは
ドタドタ・ボトボト・バスドラに至ってはボッタンボッタン。

でも10m位、離れて聞くとちゃんとハイハットの切れも良いしなかなかのテクはあった。
「幾つくらいやろう!相当古い話知っとったが・・・」
「結構若いんちゃう・・・だってこの寒いのに半袖やったもん」
「最低でも20歳は若いやろ」
花冷えでおまけに川風は思いの他寒かったのだ。

そして私はその人のスティックを握った手の甲の節々にまるで武術家の様な“たこ”が出来ているのを見ていた。
多分、何かの技術者だろう・・・・と!
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セイ!?

  1. 2008/03/20(木) 18:28:49|
  2. ■夜桜一家
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  4. | コメント:19
5月から自販機でたばこが買えなくなる―
[ タスポ ]なるものの申し込みにJikoが出掛けた。
車でほんの5分足らず・・・・・

帰りがお~そい!
最近も事故のあった事故多発地点を通っての道路。
(その日はたまたま前日にCyaoが練習で乗ったので若葉マークをつけたままの車)

しばらくして無事、帰って来たのだが~
「難しかったてや」
「はぁ~!何が~?」
「申し込み用紙 3枚使うた・・・」
「へ~ぇ!まさか未成年者に間違われた訳やないやろ?
それなら、それで喜べや」
「セイは・・・?と聞かれたけん“男”と書いたら×やった」
「??」
せいめい云うけん名前書いたら又×や。
せいめいと別々に書け~云うがてや」
「ほんで写真まで撮られて・・・
今、ヒゲ伸ばしとるけど、剃っても買えますか」
と聞いたとか~

その話を今日バーバラ達にしたら
「うちのじいちゃんな・・・
セイ聞かれて―もうだんぶ計ってないけんど昔は169やった―云うたがと。
年とって縮んで子供に見えたろか云うけん大笑いよ!」
「ほんで写真撮られる云うて服、着替えに帰って来た」

ちなみにここのたばこ屋さんの看板娘ちゅうにはちょっと年がいってるがぽっちゃり可愛いひとでなかなかの人気者のようである。
(これから高齢者がきたら苗字は・・・?と聞いて下さいな)

実際にタスポを使うようになったらどんな珍騒動が起きるか楽しみだ。

高野山総本山金剛峯寺

  1. 2008/03/11(火) 14:16:39|
  2. ■同行二人-風遍路
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せっかく「弘法の日」に来たのだからと 道中で疲れた賓頭盧さんと荷物を普賢院に残し静さんと歩いて5分ばかりの金剛峯寺にお参りに行く。

高野山 051


高野山 012


本坊は東西約60m・南北約70m。
あまりの大きさにどぎまぎしながら
「上がってもよろしいのでしょうか・・・・」

納経をお願いし
「写真写してもかまいませんか?」
って云う人が多いらしく心得た様子で
「良いですよ。私が3文字目を書き出したらシャッター切って下さい」
カメラを構えて待っていると
「はい!今・・・・」

高野山 013


日付も毛筆で書き入れてくれた。
(何10回もお参りしている賓頭盧さんも毛筆で書いてもらったことはないそうだ。
朱印で日付を押すだけだとか・・・・・)
その後、パンフレットを出して高野山の見所を懇切丁寧に優しく教えて下さった。

『本坊内拝券・新別殿待遇券』¥500-
梅の間・柳の間・書院上段の間・稚児の間等々・・・・
狩野元信・探幽・探斉等の立派な見事な襖絵の数々・・・・

『写真撮影・模写・禁止』の立て札がそれぞれの部屋の前に立っている。
(写真はともかく模写する人がいるのかなぁ!)

『蟠龍庭』(ばんりゅうてい)
2,340平方メートルの石庭は、国内で最大級を誇っています。
この石庭では、雲海の中で向かって左に雄、向かって右に雌の一対の龍が向かい合い、奥殿を守っているように表現されています。
龍を表す石は、お大師さまご誕生の地である四国の花崗岩が、雲海を表す白川砂は京都のものが使われています。

と、書いてある。
高野山 030


高野山 029


長い廊下を渡って
『新別殿』
高野山 019


静さんと二人で数えたのだが途中で分からなくなり聞いたら169畳。

高野山 018

(ちょっと~出がらしのお茶)

高野山 023


高野山 021


パッチワークで作ってある壁面の仏画。
(細かい良い仕事してますねぇ!)

『台所』

高野山 047


大釜は二石釜といい、一つの釜で約7斗のご飯を炊く。
三つで一度に二石(云われてもピンとこない)
2,000人分程のご飯が炊けるんだと―
焚き口がないじゃん!(床板をはずして下に階段で降りた所にあるらしい)

高野山 046


ふぅ~ん!?へぇ~!?
四国のお寺で相当大きなお寺も見てきたが規模が違う。
うぶを抜かれて~(度肝を抜かれているので)
もうキョロキョロ・キョトキョト挙動不審!?
腰は引けてすり足・忍び足・話す声もおのずとささやき声。
他にも参拝者はいるのに話し声やざわめきはなく、物静かに移動していく。

高野山 053


正面から写真撮るのに
「なんで梯子が掛かってんの?梯子が邪魔・・・・」

天水桶
金剛峯寺の屋根は檜の皮を何枚も重ねた檜皮葺(ひわだぶき)。
その屋根の上に、桶が置かれている。
これは普段から雨水を溜めておき、火事の時火の粉が飛んで屋根が燃えあがらないように桶の水をまいて湿らしているのだと―
その為の梯子。
その後、他のお寺でもこの光景をちょいちょい目にした。




Cyaoの巣立ち

  1. 2008/03/04(火) 12:57:13|
  2. ■夜桜一家
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  4. | コメント:12
Cyaoが高校を卒業した。
地元の高校の推薦を蹴って隣市の高校へ・・・・
バスで汽車で・・・時にはパパやママに送迎して貰いながら3年間―部活に勉学に良く頑張った。

20080304125651.jpg


「頑張ったよ~」
卒業式での5枚の賞状。

バレーでの足の怪我・手術に肩の故障。
痛み止めを注射しながらの大会。
三年間、私達も“追っかけ”をしながらたくさんの感動・元気をもらった。

Cyaoは生まれた時から[ おかし愛らしい子 ]で今風に云うと[ へん可愛い子 ]
世が世なら(平安時代頃)チョーがつくほどの美人顔だ。
色黒と云うオプションまでついて・・・

Miyaちゃんは
「おかし愛らしい子は、大きくなったらべっぴんさんになる!」
「云いよったか思いなはい。この子は美人になるで~」
太鼓判を押してくれた。

[ ]って可愛い名前があるにもかかわらず
『ター子・チャオ・プータ』 家族内では今だにこれらのニックネームで呼ばれている。
 
思い起こせば(ってほどたいそうなことではないが)家にお泊まりしたのが孫のなかでは一番多い子。
「おやすみまん買うて行こな」
と云う頃から・・・・
小学校の高学年になるまでは良く付いて来ていたし泊まっていた。
だっこして寝るのに紅葉の様な手・冷たい足先が私の太ももについていたのが段々膝にになり脹ら脛になり・・・

いまでは見あげるほどに立派?(女の子に不適切)に成長した。

そもそもJiko・Bakoの名付け親はCyaoである。
ある日、デパートの人混みで迷子になったCyao!
右見ても左見てもおじい・おばあばかり(Cyaoから見れば)・・・
「じいちゃん!・ばあちゃん!」って呼んでもどこの・誰のじいちゃんかばあちゃんか分からないと―
そこでCyaoは

『おったまじい~!』
(Jikoの名前は玉三郎?)
名前の呼び捨てはまずいと思ったかどうか“お”をつけた。

必死で叫びはしたが呼んだ方も呼ばれた方も恥ずかしかったらしい。

何処にでも連れて行ったし又付いてきたがおとなしく地味ぃに迷子によくなった。

私の名前は難しく覚えられなかったようで
「バァ~コォ!!」

目をうるうるさしながら

「バァ~コォ!!」

往復の車に中では
ひばりの「俥さん」坂本冬美の「夜桜お七」などを教える。
幼い時からぴー・たー姉妹とも上手に覚えて歌っていた。

そのCyaoもこの春から大学生!
松山での一人暮らしが始まる。
―新生活が楽しみでたまらん―様子である。

DSC00216.jpg

三年間お世話になったバレーの顧問の先生と・・・

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