桜舞

            Bako・・・可愛い孫たちが付けてくれた愛称。 ちなみに孫たちは[Bakoちゃん]と呼ぶ。  雅号は「水絵」!!風の吹くまま気の向くままに―

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県総体南予予選

  1. 2007/04/29(日) 23:15:27|
  2. ■夜桜一家
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28・29日孫娘たーちゃんの県総体南予予選の試合があった。
会場はあの サスケ 並みの体育館。
28日は2戦ともストレート勝ち。
今日は準決勝と決勝戦。
ぴーちゃんも松山から応援に駆けつけた。

『バレー関係者以外駐車不可』―学校関係者のみ―だったらしい。
地帯に乗り入れた私。
叱られたら小腰を屈めて耳の遠い認知症になる覚悟で・・駐車したがお咎めもなく無事だった。

20070430010115.jpg


―今やらずしてどこでやる!―
―気持ちでせめてけ―
―今やるべき―


それぞれが気合いのこもったキャッチワードを 胸に 腕に絵文字入りで書きモチベーションを高めて・・・

いざ!!決勝戦!!

宿敵八幡浜高校との対戦

この光景もこの雰囲気もこれが最後と思うと応援もいつも以上に力が入る。
決勝戦らしい緊迫した攻防で手に汗を握り三回戦までもつれこみ25:27
最後はたーちゃんがエースアタッカーとしての仕事をきっちり決めて

新人戦・南予大会・総体予選優勝

三冠優勝達成 

20070430012756.jpg


なみだ!なみだ!!なみだ!!!
感激のるつぼ・応援していただれかれなく泣きながら抱き合い飛び跳ねた。
タミフルを飲んだ訳でもないのに飛び降りたい衝動に駆られる。
昂揚するとこんな感情がおこることを実感。
“滂沱の涙”ってこんなのだろうな・・・止まらない涙。
滂沱の涙が感涙の涙であることの嬉しさ。

20070430134713.jpg


満面の笑みで私にトロフィーを持たしてくれたたー子。
実はたーちゃんの肩は悲鳴をあげていたのだ。
治療を受けながらの今回の試合だった。
(悔いのないプレーをさしてやりたい・肩が痛まなければ良いが)
心配で夕べは明け方の4時まで私は眠れなかった。
「よく やった!!頑張ったね!!今日の試合たー子VIPや」
「それを云うならMVPやろ」
「どっちでも良いわ・・とにかく良くやった・・頑張った」
としか云えない私。
「バコの声よく聞こえたよ」

20070430014111.jpg


冥土の土産がまた一つ増えた日。

感激さめやらぬままに・・・・


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三婆

  1. 2007/04/25(水) 15:03:04|
  2. ■夜桜一家
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私が嫁いで来た頃 同居していた浜の町ばあちゃん以外に三人の年増がいた。
義母は三人姉妹の末っ子で長女が養子をとって家業をついでいたが、乳母日傘で育った末っ子を心配してかしょっちゅう来ていた。
この三人姉妹、お嬢さんのイメージとは程遠いお顔立ちで若き日の舅・いっちゃんが三人娘を見て
「どれでも良い・・・」と云い
結婚式に見たら
「一番ぼ~っとしたのが嫁いできた」
(いえいえ!いっちゃんのお言葉)
すぐ上の姉は結婚して20代に御主人と死別して以来、家の二階に住んでいた。
若い私にとっては姑が三人状態。
風習も言葉も違い商家のしきたりも分からない私は何かにつけ標的にされた。 
天衣無縫 今で云うキャピキャピの私は島国根性丸出しの排他的なオバサマ方には受け入れ難い生き物だったのかもしれない。
一番上のイ~ねえちゃんはさっぱりした気性で辛辣な事も言うが後がなく割りに公平な態度をとって妹達を叱る事もあった。
「気にせんでいいよ。
云いたい者には云わせとけ!」
良く云ってくれた。

ハ~ねえちゃんと義母は私にとってはどうでも良いような些細な事をうだうだ・ぐちぐちいつまでも小言を云う。
今なら
「それが何か・・・」
とかスルーしたり出来ただろうが・・・
さすがの私も三人の口撃には刃を交えずして敗退である。

―今に見てろ!!窮鼠猫を噛む!いつか噛んでやる―

と可愛いハツカネズミ?の私はリベンジを誓い悔し涙にくれた。
 
義母の口癖は
「人に聞いたけど・・・」
「ある人が云うよる・・」
自分が云うのでは無いと前置きをしてチクチク・タラタラ嫌みを云う。

「すり鉢は ゾーラ では洗うな」
と云われ私は束子で洗った。
ゾーラ が束子だとは知らなかった私。
それを
「ある人から聞いたのだが・・・」
とくる。
知ってるのは[ 義母 ]アナタしかいませんから・・・


第42番札所~第43番札所

  1. 2007/04/22(日) 00:36:17|
  2. ■同行二人-風遍路
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一っか山佛木寺いっかざんぶつもくじ

(か⇔王へんに果と云う字が無い。誰か教えて・・・)

“瓜封じ”で南予では有名なお寺である。

20070421140130.jpg


真新しい七福神の像が並んでいる。
か―と思うと茅葺き屋根の鐘楼が目をひく。

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新旧とりまぜて、しっとり落ち着いた境内である。

 門前で 草餅もとめし若者の

            背の寝袋に ひとひらの花
 

おっちゃんがバイクで草餅を売っていた。
手作りで生の蓬が入った美味しい草餅だった。
このおっちゃんに
「近くに古いお庄やさんのお屋敷がある」
との情報をキャッチ。

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車を田舎道に置きお屋敷に向かう。
なんだか“金田一耕助”が走ってそうな・・・と思っていたが―

20070421143130.jpg


20070421143209.jpg


長屋門を潜ったら もっと古かった。
蔵の中にはほこりにまみれた古民具の数々。
「こ~りゃ 古いわ・・・」
等と覗いていたら 普通に女の人が出てきて
「囲炉裏の端でお茶でも・・・」
「どうぞ お上がり下さい」

20070421143229.jpg


花冷えの日。
あったかい囲炉裏の側で熱いお茶と羊羹のお接待。
倉敷から来たご夫婦と同席。
お遍路話に花が咲く。



源光山明石寺げんこうざんめいせきじ

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『明石寺』“あげし”だと思っていたら“めいせき”だった。
もう一つ 城川の“龍澤寺”と勘違いしていて明石寺は初めてだ。
このお寺も鐘は撞かしてもらえなかった。
それと今まで廻って来たなかで唯一 手拭きタオルが無かった。
住職さんが
「うちには檀家がありません」
そのせいだろうか―

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お寺には珍しく渋く落ち着いた赤い瓦。

 介護者に 抱かれ上がり本堂に

           座すれば老婆 号泣やまむ
 

感極まったのであろう。
奇声としか云いようのない大声を上げて泣くのだ。
まだまだ修行の足りない私はその泣き声に動揺し後から来た団体さんの木魚に惑わされ・・・
読経の声はふらふら よろめき、つっかえ、こぶしが入り・・(主人に睨まれる)
まぁ 御本尊は私の守り本尊「千手観音さま」だからあの手この手で転けないよう突っ張っていらしゃったとは思うが・・
徳島の仏様は随分転かしたが、今年になっては初めてずっこかしたんじゃないかな!!
(無・空)の境地にはなかなかなれませぬ。

ちょうど4月8日で花祭り。
甘茶のお接待が有った。
思いのほか甘かった。
お釈迦様に甘茶を掛けたら私のお経を聞いてらしたのかこけた。
木彫りの15cm程のお釈迦様だ。
きょろきょろと見回して急いでつまんで台座にのっけた。

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今回の御利益。
錦札はじめ金札・銀札。

壊れた人形

  1. 2007/04/18(水) 00:20:58|
  2. ■アンビリバボーな面々
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Syoukoちゃんとは小学校以来の友達である。
色の白いお人形さんみたいに可愛い子だった。
彼女は5人姉弟の長女で一番下の弟をよく学校に連れて来ていた。
田舎の学校ではさして珍しい事ではなく愚図り出すと授業中でも運動場に出て子守をしていた。

中学を出ると遠縁の長浜の商家に引き取られた。
その家の17才年上で病弱な長男と結婚したと聞いたのはまだ私が学生の頃だったろうか・・・
一男一女の子宝にも恵まれた。

その後 私も八幡浜に嫁ぎ交流が再開した。
如才ない性格で誰にでも好かれるタイプのSyoukoちゃんは病弱なご主人に代わって店を切り盛りし始めた。
商才を発揮してバブルの波にのり最盛期には大洲・八幡浜と支店を出し弟達を呼び寄せて支店を任せる一方、私より早めに子育てを終えた彼女は商工会議所の女性部長・某代議士の後援会女性部長として精力的に活動をしていた。
愛嬌は良いし苦労人らしい気遣いで人望もあつく小さなこの町ではちょっとした有名人だった。
運転手付きの車で流行の洒落たスーツに身を包み長浜土産の“しぐれ”を持って訪ねて来た頃 私は年子の幼子を抱えあたふたしていた。
「子供は二人とも大学にいかすんよ」
と嬉しそうに張り切っていた。

バブルが弾け次々支店も引き払い八幡浜に来る事もなくなりその内年賀状も来なくなった。
電話をかけても長男が出て
「今は留守です・・」
の一点張り。
名古屋の大学を出た自慢の息子が跡をとっていた。
一度訪ねて行きたいのだが いつ行けば会えるか・・私の問いに息子は重い口を開いた。
「実は・・呆けてまして・・お会いしてもわかりますかどうか」

絶句した。
まだ若いのに・・(50代)
しかも早生まれで私より一個下である。

次の日 Syoukoちゃんの好物だった“宮川のうすかわ饅頭”を持って車を走らせた。
待っていた息子は
「判らないとは・・思いますが・・」
と気の毒そうに別棟の離れに案内してくれた。

初めてご主人に会った。
鼻にチューブを差し痩せてうんと御老体にお見受けした。
薄暗い広い部屋の片隅に彼女はいた。
彼女はテレビの前にピンクの兵児帯を結んでペタンと座って一心にテレビを見ている。
「Syoukoちゃん!!」
声を掛けるとゆっくり振り向いた。
うつろな目でじぃーと見ている。
「Syoukoちゃん!!」
「私 わかる?」
ぱっと表情が変わり
「松原のRちゃん」
と旧姓で呼び昔のまんまの笑顔でころころ笑った。
「今なテレビに鉄輪(ふるさと)が出とったんよ。
温泉まつりよ。
原のてっちゃん(彼女の憧れの先輩)が御神輿担いでな。
Rちゃんもテレビに出とったろう?」

涙が出そうになりながら
「うん・うん」
と頷いた。
前開きの服を後ろ前に着せられ胸の辺りまでジャージのパンツを上げて兵児帯で後ろに結んである。
聞けば すぐに脱いでしまうのだとか・・
おしめをされたお尻が異様に大きかった。

息子が卒業と同時に名古屋から嫁を連れて帰り、その結婚からおかしくなったようだ。
あの どえりゃあ 嫁入り騒動が有ったらしい。
度派手な大きなトラック3台で嫁入り道具が運ばれた。
Syoukoちゃんはこの離れを建て家具もすべて準備して楽しみに待っていたのだとか・・

いろんな行き違い 思惑違いに脳が対応出来なかったのだろうか・・

「足を痛めて最近は徘徊が無くなって助かります」
徘徊しては他家に上がり込み勝手に食事をしたり冷蔵庫の物を食べたりしたのだとか・・
「見せると一度に全部食べますから」
土産のお饅頭をしまった。

私に出されたお茶とお菓子をSyoukoちゃんはあっと云う間にたいらげた。
左手でしっかり自分のお菓子とお茶を確保しながら・・

「初孫が出来たのに顔も見せてくれないし赤ん坊を抱かしても呉れない」
と訴えた。
横からご主人が
「孫達はもう大きくなって小学生なんですよ。
赤ん坊はいないんです。
いくら云っても嫁が隠してると思いこんでいます」

「又、来るわ。元気でな・・・」
と云うと
「名古屋の嫁を叩き出すまではくたばれんのよッ」
Syoukoちゃんとは思えない言葉を可愛い口から強い語気で吐いた。

駐車場に見送りに来た息子が
「判って良かったです。
嫁も孫も判らないんですよ」
寂しげに云った。

日本一夕日が綺麗な海岸線を走り帰途に着いた。
  ―沈む夕日が立ちどまると云われる―

    落日を見ながら・・・・・
    落日を見ながら・・・・・










第40番札所~第41番札所

  1. 2007/04/15(日) 14:58:31|
  2. ■同行二人-風遍路
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平城山観自在寺へいじょうざんかんじざいじ

愛媛に入り初めての寺。
合併で愛南町と名称が替わったが深浦漁港には鰹漁船が沢山繋がれていた。

『別格本山観自在寺』なかなか貫禄のあるお寺。
40番にして私達は正式なお参りの作法を教わった。
それも孫のような少年に・・・
その少年はどう見ても中学生?
坊主頭に般若心経の手拭いをバンダナ風に巻いて白衣に本式の長い数珠を持ち その数珠をシャッ!シャッ!と音を立てて まさぐりながら声変わりしていない綺麗な声で滑舌も見事な読経であった。

 花冷えに 少年の声澄みており

          小袖まといし 春の山々
 

『正式なお参り作法』
本堂では般若心経の後 その御本尊の真言を三回。
ここなら
―おんころころせんたりまとうぎそわか―
大師堂では般若心経の後
―南無大師遍照金剛―
三回唱える。

私達は本堂でも―南無大師遍照金剛―と唱えていた。
それ以後それぞれ御本尊が違うので真言をメモして携えるようにした。

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大師堂からちょこっと覗いておられるお大師さま。
この大師堂のまわりは八十八ヶ所のお寺名が刻まれており一周すると高野山奥の院となり御利益があるとか・・・

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八体十二支の守り本尊。
子年の守り本尊は千手観音なのだがこの観音様は眉目秀麗でちょっと怖げな印象を受けた。


稲荷山龍光寺いなりざんりゅうこうじ

山門に稲荷の赤い鳥居が重なっている。
お稲荷さんと十一面観世音菩薩さまが同居してらっしゃる。

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山門入ると『七福神』
南予に七福神霊場があるとは知らなかった。

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地元と云うだけでも心安らぐのに早速御利益が・・・
“錦札”を頂いた。
阿波・土佐何処でもお目にかかれず多分結願(けちがん)しても無理だろうと思っていた“錦札”
やっぱり伊予路は「菩提の道場」なんや―ひとり納得。
―おんまかきやろにきやそわか―真言を唱えた。

 遍路道 山奥深く 分け入れば

           鶯鳴きて 桜舞い散る
 

近道が有るのだろう“へんろ道”とちぃさな木札の指すけもの道を歩き遍路の二人連れがお寺の横の山道を登って行った。


第38番札所~第39番札所

  1. 2007/04/11(水) 21:39:33|
  2. ■同行二人-風遍路
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蹉蛇山金剛福寺さださんこんごうふくじ

桜の時期 是非お参りしたかったので冬がえりして風も強かったが思いついたが吉日で出掛けた。

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 菜の花の 乱れ咲きおり 沈下橋

    水面静かに 屋形船ゆく
 
          
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境内は新しくなっていたが私は36歌仙の一人『和泉式部』の逆修塔を捜した。
それは多宝塔の後ろにひっそりと建っていた。

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―あらざらんこの世のほかの思い出に
       いまひとたびの逢うこともがな―  和泉式部    

―小倉山峰のもみじ葉心あらば
       いまひとたびのみゆきまたなむ―  藤原忠平

百人一首でよくお手つきした和歌だ。

「なんて書いてあるんですか?」
「ご本人が来たのですか?」
「髪の毛だけですか?」
「なんで足摺に・・?」
矢継ぎ早な私の問いに
「読めません。
なにさま昔の事でして・・
詳しいことはわかりません。
髪の毛が納めてある・・としか」
『金剛福寺略縁起』なる一文を呉れた~が和泉式部の事は何も記されて無かった。


 荒き海 補陀洛渡海の 聖地にて

             いにしえ人と霄壤(しょうじょう)の差



赤亀山延光寺しゃっきざんえんこうじ

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 霞かと 思えば黄砂の 桜道

             歩く遍路の姿おぼろに 


ここのお寺の梵鐘は赤い亀が竜宮城から背中に乗せて持って帰ったとか・・・
山号はそれに因んで『赤亀山』
『目洗い井戸』目の病に霊験あらたかと云うのでしっかり霊水を掛けた。
―白内障が進みませんように―

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菜の花が咲き桜が咲き鶯の鳴く春爛漫の土佐路を駆け抜けた一日であった。
日帰りで走行距離 320km。
『修行の道場』を打ち終えた。

これから伊予の国『菩提の道場』である。

罰当たりな奴!

  1. 2007/04/09(月) 15:03:31|
  2. ■アンビリバボーな面々
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花冷えの風の強い日。
足摺の金剛福寺に参拝したついでに足摺岬へ。

遊歩道に一歩入ると両脇に石蕗の群生。
私ひとりなら絶対目もくれない。
これは断言出来る。
Jikoは大好物の石蕗を採り始めた。

私は次のお寺まで(70km)の事や足摺七不思議も見たいのに一向に歩が進まない。
仕方なくそこここの石蕗を採っていた。
展望台まで行って上がったが風当たりが強いので早々に降りて・・・
Jikoは再び石蕗を採りだした。

それを見た売店のおっちゃん
「あんたら だいぶ石蕗採っとるが・・・
ここのは採られんのじゃ。
係の人に見つかったら罰金ぜよ」
さて私達は

   あわてて断崖絶壁から海へ石蕗を放り投げた。
   潔く罰金を払って没収された。

私の咄嗟にとった行動はそのどちらでも無かった。
やにわに着ていた白衣を脱ぐと石蕗をくるんだのである。
(なんと罰当たりな・・・お大師さまを共犯にした)
知らない間は堂々と歩いていたのに悪いと分かった途端こそこそ・きょろきょろ・
職質で犯人が捕まる心理わかるわ。
腕章している人に会わないように気を付けながら駐車場へ一目散。
春休みとあって幸いにも満車状態。

白衣で包んだ石蕗を後ろ手にカニさん歩きで車の陰から陰へ。
やっと車へ辿りつくと石蕗を放り込んで足摺から逃走した。

七不思議はおろかアコウ樹原生林も巨石群も見ずに・・・だ。
いや景色も見ずひたすら足元を見ただけで・・・

峠に着いて一息
「知らんかったもんなぁ!」・・・と私。
「アッ!自然植物園と書いとった」
とJiko。
「なぬっ!!そ・そりゃあマズイわ!」
高崎山(自然動物園)で猿連れて帰るんと同じやろ。

後部座席に積んであった金剛杖が『コツン』見事に私の頭にヒットした。
思った以上に痛かった。

―わ~ぉ お大師様も怒っとる。
どうぞ 俗人のなせる業お許し下さい―

次のお寺で白衣を着ようとしたら泥と茶色の綿毛がいっぱい付いていてちょっとやそっとでは取れない。
私は茶色のケボケボだらけ泥まみれの白衣(どこで野宿した?状態)での参拝。

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知らぬが佛・しっかり『証拠写真』を残して・・・

帰宅後 指先を真っ黒にして皮をむぎ美味しく頂きました。

―お大師様 知らぬ事とは云いながら悪い事を致しました。
 御免なさい―

猿でも出来る反省しきりの私めでございます。  合掌
                  

桜舞う

  1. 2007/04/05(木) 23:38:37|
  2. ■思い出の糸をつむいで
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  4. | コメント:4
 桜舞う 今日の佳き日にまなびやと
             友と別れていつ又逢はむ 


と書き残して山の中学を卒業した。
その頃 サイン帳にお別れの言葉を一言かいて友達同士で交換するのが流行っていた。

私と短歌との出会いはこの山の中学校に小田先生と云う国語の先生が赴任して来られてからだ。

あかねさす紫野行き標野行き
      野守は見ずや 君が袖振る


額田王のこの和歌に触発されたと同時に小田先生が短歌を詠まれることから短歌への興味を持った。
小田先生とはその後も何くれとご教授頂き今年米寿を迎えられ耳が少し御不自由ながらご健在である。
今も歌が出来ると送って読んで頂く。

昨年 お薦めしてPCを始められた。
ーやっとはがきの裏は書けるようになったー
とはしっこに文字の寄ったはがきが来た。

高校時代には別府在住の女流歌人(八雲主宰)『田吹繁子先生』に師事。
この歌が掲載された。
女流歌人のイメージからは程遠く“野村昭子”と“あき竹城”を足して上からぎゅと押さえたような見た目でさっぱりした男らしい?ある意味豪傑であった。
女流歌人とは縁のなさそうな豪放磊落な性格だった。
ご主人は鶴のように痩せて背の高い優しい方で影のように食事を作ったり掃除をしたりしていた。
先生はそれこそ足の踏み場もないような書斎に講演や歌会に外出する以外はこもりっきりで執筆していた。
家にいても食事以外は部屋から出てこない。

冬休み・夏休みには住み込んで身のまわりのお世話をしながら短歌の勉強をした。
ものを見る目・感じる心皆それぞれ違う。
既成概念に捕らわれるな!
自分の思ったまま・感じたままを詠め!
自分の気持ちに嘘をつくな!
良く云われた言葉だった。

家事全般不得意な先生だったが、この先生、何故かマヨネーズにだけはこだわった。
手作りマヨネーズしか食べず毎食のように作らされた。
手を抜くと分離するので必死で撹拌したのも今では懐かしい思い出だ。


この先生の銅像が今も野口公園の一角に建っている。


広報の朗読

  1. 2007/04/03(火) 23:46:59|
  2. ■Bakoの事
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  4. | コメント:3
私達の会はA・B・Cと3班に分かれている。
A・B班が交代で広報・その他の小誌を音訳する。
C班は上級者で市内のほとんどの小学校から要請があり巡回して本の読み聞かせをしている。
私も孫が小学校に在学中なら“度胸”を武器にC班に潜入するとこだが・・・

私の属するB班が4月号の音訳だった。
一冊を7人で90分テープに収める。
読み合わせから中二日で本番。

今まで相当 人を喰って来た私だが 喰う事はおろかなめることさえ出来ない人達。
如何にせんキャリアの差・・・
そこで私は録音機械に目をつけた。
機械なら練習次第でどうにかなる!
68才でPC操作を娘に叩き込まれた私。
PCより扱い易そうな録音機器。
録音機械の操作を一月から猛練習。
人の良い副会長がつきっきりで教えてくれた。
基本は講習で習っていたのだが・・朗読者を前にすると緊張と0,1秒のタイミング(もう勘としか云いようがない)
ベテランの読み手の協力もありで・・
どうにかなったのだ。

4月号からはメインのメカ操作をした。
ついでにプログラムの制作・編集を担当。
と・・云う事は自分の好きなページをある程度好きな時間で読める訳。
大体一人15分の持ち時間のとこを私は8分の記事にして前後のベテランから5秒ずつへずって8分10秒に・・・
ープログラムの制作・メカ操作をするってお約束でー
プログラム制作もマイクを着けたPCを駆使して思ったより簡単に出来た。

「20回以上は読むように・・
あなたの原稿は綺麗すぎる」
中西さんのアドバイスを受け今回も暗記するほど読み込んで録音に臨んだ。
ー人の名前は絶対に間違えないようにー
今回も清子が(せいこ)さんだったり
幸子が(ゆきこ)さんだったり・・
(事前に問い合わせ確認)

で・・録音・・
春秋=しゅんじゅうが私の読みでは心中=しんじゅうに聞こえるとだめ出し。
英字の“I”と“Y”の区別が付きにくい等々。
一ヶ所躓くと後はもうボロボロ・・・
かむ・・かむ・・トチる。

やっと最後の4分ノーミスで終わると思われたその時、ベテランのひとり西村さんが動いた。
副会長に筆談で「・・・・」
手が振られ録音中断。
「???」
子供の名前「美海」(みうみ)「心海」(ここみ)と読んでいたのだ。
メインメカ・サブ・校正3人ー6人いて誰も気が付かなかった。
一ヶ所に「心海」(ここあ)とふりがなが付いていた。
海女って云うから“あ”でもありって事だ・・
(あ~~~あ!!)
落ち込んでいたら上級者の井上さんが名前の部分だけ消して入れ直してくれた。

今回もいっぱい・いっぱいの緊張しまくりの8分10秒。

視覚障害者の方達は聴覚が優れているそうで読み手の体調如何まで分かるらしい。
リラックスして穏やかに朗読するように・・・
読み手が緊張しているとそれが伝わり非常に疲れるそうである。

今月も疲れさせちゃいましたーお疲れ様 

夜 副会長からメール
『メカ操作完璧でしたよ~これからも頑張って!!』






頭の中の消しゴム

  1. 2007/04/01(日) 22:57:44|
  2. ■思い出の糸をつむいで
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  4. | コメント:4
私の頭の中の消しゴムが消してしまわない内に書いておきたい事がある。
それは断片的な幼い時の記憶。

雨と蛙
雨が降っていて外で遊べない日。
多分6才上の兄が作って呉れたであろうちぃさな木の枝に糸をつけて脱脂綿を括り付け窓から蛙を釣っている光景 。

サーカス
松原公園に花火見物に行った帰りにサーカスを見た。
その頃、親の脅し文句は
「悪い事をするとサーカスに売る」
「云う事をきかない子はサーカスに売る」

サーカスの魅力に取りつかれた私はお気に入りの一張羅だったオレンジの濃淡に萩とコオロギの柄のモスの着物を風呂敷に包み悪態の限りを尽くし
「早くサーカスに売ってくれ~」
と玄関に座り込んで泣き喚いている光景。

盆栽
隣のおじいちゃんが大事に育てていた盆栽の梅の実を取ってパクリッ!!
おばちゃんが
「食べた?」
「ううん!!」
目を白黒させながら首を振った。
「あ~ぁ良かった・・・この梅の実は食べたらおへそから木が生えるんよ」

急いで家に帰りおへそを見ながら
ーどうぞ木がはえませんようにー
神様にお願いした。
それからおばちゃんは顔を見ると聞く。
「まだ生えないか?・花は咲かないか?・・」
その都度おへそを押さえ家に帰って不安におののいていた光景。

人殺し
大急ぎでトイレに駆け込んで転び便器でおでこを切った。
病院に連れて行かれて三針縫った。
その間中泣いて暴れて
「ひとごろし~ぃ!」
「ひとごろし~ぃ!」

みんなに押さえられながら
「ひとごろし~ぃ!」
「ひとごろし~ぃ!」

バタバタ必至で泣き喚く。
先生に
 人殺しじゃない人助けじゃ~ 
叱られて涙目で先生の顔を精一杯睨んでいる光景。

遠い遠い遙かな記憶のカケラ。

それ以前の記憶は無いが何でもお隣さんには相当迷惑をかけていたらしい。
まな板の上に座っておもらししたり・・
知らない間に二階に上がり窓から飛び降りたり(転げ落ちた?)・・
これらは・・一切記憶にございません!!

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