桜舞

            Bako・・・可愛い孫たちが付けてくれた愛称。 ちなみに孫たちは[Bakoちゃん]と呼ぶ。  雅号は「水絵」!!風の吹くまま気の向くままに―

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南予新人戦

  1. 2006/10/31(火) 14:25:29|
  2. ■夜桜一家
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28・29日はたーちゃんのバレーの応援。
会場はJiko・娘・上の孫二人の母校でもあるY高校。
懐かしいラグビーの練習風景を横目に体育館へ・・・
体育館の上部から観戦するのだが まぁこれがやっかいで・・どだい高齢者が往来する場所ではないからバリアフリーであろうはずがない・・・としてもだ。
鉄板の狭いむきだしの階段・段差のある通路・おまけに明かりがない。
やっと上がっても人の後ろを通るのに壁際のカーテンを掴みながら横になって歩く。
直径6cmほども有る太いロープの山が無造作に投げ出されてあり その上を越えていくとこんどはネットが手繰り込まれてある掻き分けくぐり抜け

「まるでサスケやん

20061031143558.jpg

お馴染みの応援幕が・・・

『うてっ『うてっ

『ファイトッ

『落ち着けッ

『声出してッ動けッ』

『ナイス ブロック

『ラストいっぽん!!イケッ!!』

Bossの檄と私の声援が体育館に響き渡る。
私は3日後に大事な録音を控えていたのだが我を忘れて大声を出していた。
帝京第5高校は南予大会に続いて新人戦も制覇。
新人戦では初の快挙である。

20061031103838.jpg


トロフィを高々と掲げて
「応援ありがとうございましたッ」

20061031154425.jpg

笑み・・笑み・・満面の笑顔

20061031201057.jpg


「Bakoも一緒に・・」とたーちゃん。
他の部員達も「おじいちゃんもどうぞ・・どうぞ」
Jikoは女の子ばっかりで恥ずかしいと逃げた。
「じゃあ冥土の土産に・・」と図々しく割り込んだ。
たーちゃんがすかさずトロフィを持たせてくれた。
ユニホームは汗びっしょりで熱戦を物語っていた。
明るく素直な良い子ばかりでこんな仲良しのチームメイトとプレー出来るたーちゃんの屈託のない笑顔をみてほんとうに良い青春してるな~と感慨にふけるとともに感動を受けた2日間。

次の県大会も頑張れ!!
相手は宇宙人でもモンスターでもない おんなじ高校生だ!


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第23番札所

  1. 2006/10/29(日) 22:59:58|
  2. ■同行二人-風遍路
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医王山薬王寺いおうざんやくおうじ

四国随一の厄除け寺。
33段女厄・42段男厄・61段還暦厄とあり各石段に1円・5円・10円中には100円玉も置いてある。
前を上る人も1円ずつ置いていた。
「拾うていく人はおらんのやろうか?」私。
「誰が厄を拾っていくか・・・」と主人。
食うに困ったらここにお参りに来て拾うていっても佛のお慈悲で許されるのでは・・
等と不埒な事を考えながらお金を踏まないように上る。

20061029171404.jpg


『厄除けの臼』があり年の数突いて厄を突き落とす。
お線香の煙にむせながら ぴーちゃんの事を念じつつ19突いた。

20061029173114.jpg


『厄除けの鐘』これも年の数突くと災難を突き放す。
順番を待っている周囲の人が声を揃えて数を数えてくれる。


 年の数 撞けば難をば防ぐとか

            七つでやめれば湧く笑い声
 


(70も撞く間お待たせするもの・・・)と1打10才って事で・・・
結構ながい時間撞いてる人もいた。

20061029175318.jpg


木陰で日和佐湾・日和佐城の景色を眺めていたら [柳川からのお参り]の方と再会。
「この先に“地獄”があるっちゃが・・行ってみんね」
といわれ恐いものみたさに
『瑜祇塔』へ向かう。
「お化け屋敷ではありませんね?」
確認してから靴を脱ぐ。
地下にはいると真の闇。

「どこっ?」「どっちっ?」

闇の中に自分の声が響く。
「壁を伝って歩け!」と主人。
私はなんの考えもなしに飛び込んだものだから何処に壁があるやら右も左も分からない。
闇雲に手を振り回し足でさぐるが空を切るばかり・・・

「声だしてぇ~ドコッ?よ~」

声の方角にそろそろ進む。
暗闇にぼう~と薄明かりが・・・
ダッシュで灯りに向かう。
途中で当たった物(主人)を突き飛ばして・・


 暗闇を手探りゆけば 一筋の

            光明ありておわす御仏
 


20061029182910.jpg


暗闇に浮かびあがった仏像。
『地獄に佛』とはこの事か・・・片手拝みで出口へと急ぐ。
出口に辿り着いた時には裸足で借りたスリッパはどっかほっくり投げていた。

20061029184243.jpg


陽光の中の観音様に改めて手を合わせ下山。
駐車場の横の建物に10人ほどの若い小坊主さんが暑いので作務衣の上着を脱ぎくつろいでいた。
高校の部室のような感じである。
聞いて見ると「団体さまの納経所です」

ここで『発心の道場』阿波の霊場は打ち止め。
いよいよこれから『修行の道場』土佐へ・・・

児童合唱団の制服

  1. 2006/10/26(木) 17:01:16|
  2. ■夜桜一家
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娘は生まれつき絵を描く事が好きで 又上手だった。
私はてんで駄目だったが隔世遺伝のなせる業だったのだろう。
暇さえあればチラシの裏に絵を描いていた。
紙と鉛筆さえ与えておけば何時間でもおとなしく絵を描いて遊んでいた。


e.jpg

小学校の4年の時に描いたこの絵は店のマッチに使用した物。
この頃には自分なりのキャラクターを確立さしていて[おちゃ虫]と言う虫がどんな絵にでも描かれていた。
「可愛い・・絵」と評判になりファンも増え 開店祝い・お節句祝い・お見舞い・等々。
大工さんに木の枠を作って貰いビニールをかぶせて表装して差し上げた絵は百枚近く有った。
一度全部集めて個展を開こうと言う話しまで持ち上がった程だ。

その噂を聞いてJCが[八幡浜児童合唱団の制服]を全国に募集しているので
「子供の視点からデザインして見て・・」と言ってきたのは合唱団の第6期団長に就任した伊藤の禮司さんと森分の信ちゃんだった。
当時は[ドレスメーキング]や[装苑]と言う雑誌の全盛期で その雑誌に投稿しているデザイナーの卵達が大勢応募していたらしいのだが 娘の描いたデザイン画が採用された。
蜜柑をイメージしたオレンジ色のベストとその頃には斬新なチェックのスカートの組み合わせだった。
当時3万円の賞金が提示されていたが相手が未成年と言うので段ボール一杯の画用紙・色鉛筆・図書券を頂いた。

zen1.jpg


あれから32年。
現在の合唱団の制服である。
若干かわりはしたが ベレー帽・ベスト・蝶タイ・ハイソックスとシルエットには大差がない。



イジメらっれ子

  1. 2006/10/24(火) 20:26:22|
  2. ■思い出の糸をつむいで
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今 イジメが大きな社会問題になっているが・・
かく言う私もイジメられっ子だった。
 
別府の町中の西小学校から山奥の朝日小学校に転校してチビの一風変わった子の私はイジメの標的だった。
おまけに『口だけは3年前に産まれた』と言われた私は口だけは達者な小生意気な子だったのだろう。
ランドセル(兄のお下がりで今みたいにカラフルな物では無く豚皮のベージュ)を持っていたのもズックを履いていたのも私一人だった。
みんなは教科書は風呂敷包み履き物は下駄の子が数人でほとんどが藁草履だ。


朴訥で口では到底勝てない田舎の子達は徒党を組んで実力行使に出た。
“霧島クン”と言う人並み外れて体格に良い子がガキ大将だった。
出席順の関係で席が不運にも隣同士。
木製の二人一組の蓋付きの机だった。
『肥後守』で苦労して削った鉛筆を全部折られる。
(当時の鉛筆は粗悪で芯はすぐ折れるし非常にきれいに削るのは難しかった)
宿題は隠される。
帳面には落書きされる。
時には教科書も隠された。
悔しいので先生には言わなかった。

「忘れました」と堂々と言い
「霧島クン貸して・・・」
教科書を借りて読んだりもした。

学校内では後 掃除当番を押しつけられる程度だったが下校の際 4・5人がいつも山道で待ち伏せして髪を引っ張ったりこづいたりスカートをめくったりするのである。
ランドセルを後ろから引っ張って動けなくしてからイジメるのである。
ランドセルの中に石や蛙を入れられる事もしばしば・・

泣けば止めたのかも知れないが 私は絶対泣かなかった。
(泣いてなんかやるもんか)
我慢して・・・我慢して・・・
肩をひくひくさせながら 家まで帰り戸を開けると「わあ~」と泣いた。

話しを聞いた母は
「髪を引っ張られんようにしたらええ・・」
と裁ち鋏でショートベリーに切ってしまった。
父は父で
「やられたら やり返せ
「やられそうになったら 先にやれ
(どっちみち やれ ってこと)

『攻撃は最大の防御なり』

(この教訓は今だに麻雀道で生きている)

「でもな・・相手はおっきいし・男の子やし・一人やないし・・」
と訴える私に父は“ねぶち”を持たした。
根鞭(竹の根の部分で軽いが叩かれるとしなって痛い)
「ランドセルは前にせよ」
「スカートはやめろ」
「絶対 負けるな

父の檄を受けて翌日から“ねぶち”を持っての登校となる。
つんつんの頭に兄のお古の学生ズボンで・・・
早速「おとこおんな!!」「おとこおんな!!」
はやしたてられたが 痛くも痒くもない。
男の子になりたかった私には かえって嬉しい位のもんだ。

下校時になると校門のそばに隠しておいた“ねぶち”を手にランドセルをくるりと前にして悪ガキ共が現れると
思いつく限り 知ってる限りの

『悪口雑言』

『罵詈雑言』

3年前に産まれた口で持ち前の大声でこの時とばかり怒鳴り散らす。

「なにぉ
と至近距離にくればこっちのもの

『ピシリッ』 『ピシリッ』

顔と言わず手と言わず叩き付ける。
“ねぶち”は軽いので思うように操れるし しなって巻き付くのだ。
叩かれた所はみみず腫れになり相当痛い。

ランドセルは手さばきの邪魔と気づき次の日から唐草模様の風呂敷にして襷掛けにした。


かかって来い!!
カット:himi



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70才健診

  1. 2006/10/22(日) 14:28:18|
  2. ■Bakoの事
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はじめは問診
「日用品の買い物ができますか」
「一人で外出出来ますか」
「15分位続けて歩けますか」
「お茶や汁物でむせる事がありますか」
「番号を調べて電話をかける事が出来ますか」
「今日が何月何日かわかりますか」
(そんなん誰でも当たり前に出来るやろ
みたいな設問が20ほど・・・
最後に
「最近 ちょっと呆けてきたな・・と思いますか?」
「そんなぁ~全然・・・」
すると係のお姉さん(保健婦)
「呆け始めた方は皆さんそう言われます」
とニッコリ。
(そんな馬鹿な・・・)

憮然とした表情のまま身体能力テスト。
10M障害歩行。
等間隔に30cmの高さの箱が置いてあり 跨いで歩く。
その日 私はロンスカにミュールでちょぴりおしゃれしていた。
カッツン・カッツンとヒールの音をさせながら歩き終わるとお姉さんがストップウオッチを押した。
「早い方がいいの?タイム計るのなら・・言ってよ」
やにわにミュールを脱ぎスカートをたくし上げるとダッシュ!
ぴょんぴょんと箱を飛び越え小走りに駆け抜けた。
お姉さん あわてて付いて走りながら
「結構です」

次は和室で
「仰向けに寝て下さい」
寝た足元に上からボールがぶら下がっている。
「蹴るんですか?」
スカートの裾を押さえながら・・・
「いえいえ ふつー に起きてボールにタッチして下さい」
(??)(意味わからんしー)

硬直していると再び
「お家で朝 起きる時と同じでいいんですよ」
で くるりと起きてボールにタッチして回りをみると
鮪のようにごろごろしてたり一度うつぶせになってから両手を着きヨッコラショと起きたりしている。
(ええ~?起きられない人もいるんだぁ)

「片足2分立ち」
「目は開けてて下さい。
危ないから転ぶ前に足をついて下さいね」
軽い!軽い!
簡単に一発OK・・・
結構みんなばたばたしてる。
あれだけ言われてるのに足を着かず転けている。

二桁が一つ入った一桁の足し算の計算。 
「10人ずつ計算器でやって下さい」
「暗算で出来たんですけど・・・」

「計算器の練習ですから・・・順番がきたら計算器でやって下さい」
(なんでぇ?計算器くらい使えるわ)
「じゃあ携帯の計算器でします」
「あっ・・・次へいって良いですよ」
と許可が出た。

「頸部CT」「血液検査」
50人全員での簡単なペーパーテスト。

結果を見ながら最後にもう一度カウンセリングと問診。
先ほどとは別の保健婦さん(50才代)
「これから行きたい所はありますか」
(マチュピチュに・・ ×!×!)
「お寺まいり・・」

「今 楽しい事はありますか」
(麻雀・・×!ブログ・・×! 娘が『PCせん人にはPCの話しせられんよ。呆けた思われるけん』言いよったわ)
「あなたPCします?」失礼な事 聞かれんやろ・・
「孫の成長です」
「今 困っている事はなんですか」
(モブログのログインの仕方・・・×!) 無難に・・・無難に・・
「漢字の読めないのがあって・・」
テスト結果をみながら
「あ~新聞読む時ですね(新聞読めますか)良いですよ。
分からない字はとばして読んで・・
(うちらはそんな訳にはいかんのよ)
それより声を出して読む練習をしてみて下さい」
「ハイ」
「最後に最近呆けたなぁ~と思う事ありますか」
(きた~きた~)
「はい。物忘れがひどくて・・少し呆けがはじまったかなぁ・・と心配で・・」
「いえいえ 大丈夫ですよ。 そう言う自覚のある人は呆けませんから・・・お元気で75才健診で又 お会いましょう」

第21番札所~第22番札所

  1. 2006/10/19(木) 23:15:37|
  2. ■同行二人-風遍路
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舎心山太龍寺しゃしんざんたいりゅうじ

『西の高野』太龍寺へはロープウェイで登る。
@2,400-(高っ!)
と思ったけど乗ってみると(値打ちあるなぁ)納得。

20061019231011.jpg

ロープウェイからの眺めは絶景。
二つの山を越えるロープウェイはここだけとか・・

20061019231045.jpg


足下から下の山々が見えて・・・
高所恐怖症の私は生きた心地なし。
ロープウェイを降りると とぐろを巻いた蛇がお出迎え。

20061020003434.jpg


680Mの山頂 幽玄なたたずまいの境内。
深山の清々しい気配と『聖域』という雰囲気はさすが・・
蛇や蜥蜴はまだしも「まむしに注意」の立て看板。

20061020002901.jpg


 山道ではぐれし人を訪ねらる

           いずこの言葉戸惑いつつも


九州や四国の言葉ではなかった。
連れの一人が迷子?になったらしいのだが・・・ 

r.jpg

四条派の画家・竹村松嶺の龍天井

20061019231113.jpg



白水山平等寺はくすいさんびょうどうじ

仁王門に掛かる五色の幕は大師修行の最中 空中に五色の霊雲がたなびいたとか・・・

20061020001713.jpg


男坂と女坂があり二人別々に上った。

20061020001814.jpg


 無惨にも崩れ落ちたる野仏の
           
            首に赤きよだれかけして 


20061020001847.jpg


年代を感じさせる閻魔様。

20061020001911.jpg


本堂の草花を描いた天井画。

暑い日射しの中 熱いお茶のお接待。
のんびり休んで・・・って事かな。
汗を拭き拭き 熱いお茶を頂く。
冷たい飲み物ばかりだったので熱いお茶は嬉しかった。
境内の茶店にはたくさんの猫がいて始終鳴き声が聞こえていた。
同じ鳴き声でも犬はけたたましいけど猫はのどかだなぁと何気なく思った昼下がりのひととき。

誘拐

  1. 2006/10/17(火) 15:10:58|
  2. ■夜桜一家
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孫がオーストラリアへラグビー留学の数日前・・・
携帯へのメール

『可愛い孫であるイケメンの高校生一人誘拐。
オーストラリアへ海外逃亡の費用の小遣いをちょびっと身代金として要望する。
身代金は見た目50才代とおぼしき(気使うて・・)
バアチャンに持って来させる事。

“警告”

日本の無能な警察に通告しても無駄である』

誘拐犯=被害者からのメール。

すぐさま私の返信
『誘拐犯に告ぐ。
やれるものならやって見な!!
ちょっとデカイよ。
拉致した後で引き取れったって知らないよ』


携帯の新機種変更にともないメールが消えるので読み返していたらこんなメールが残っていた。

いそいそと目尻を下げて身代金を届けた事は言う迄もない。

彼が私にお小遣いを 要求 要望したのは後にも先にもこの時一度である。

かくして誘拐犯(孫)は身代金を持って海外逃亡に見事成功したのである。

使えない醤油瓶

  1. 2006/10/12(木) 16:49:04|
  2. ■えとせとら
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北海道土産にhimiに小樽の北一ガラスで今年の新作だと言う醤油瓶を買って来た。

硝子細工2


自然光では 『パープル』


硝子細工1


蛍光灯では 『ブルー』

ことのほか 喜んだhimiではあったが自然光=太陽光と思いこみ
「屋外で使う?ことないやろ?」
(屋外ありえんけん?想定外!彼女の勘違い)

『もったいなくて使えんわぁ。
何も入れない方が絶対キレイだし!!
「小花」さんみたくアレンジしてテーブルに飾ろうかな?』


家では早速使っているが液だれしないし手に馴染んで使いや
すい。

 ----*----*----*----*----*----*----*----*
          おまけ

小樽で「ここでしか飲めない物」と“小樽の水”
飲みながら「まさか小樽運河の水やないでなぁ」
小樽運河の水は澱んで汚い。
良く見ると“水道水”と明記してあった。

ota.jpg

ボトル 買うたんや」
喫茶店で出されたタダの水と飲み比べる三人であった。

無人の羽田空港 ― in 北海道

  1. 2006/10/10(火) 17:33:30|
  2. ■Bakoの事
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羽田空港で3時間の待ち時間。
62番の搭乗口。
「絶対ここを動かないで下さい」
夕べの函館山で懲りた添乗員さん。
『羽田新ターミナル見学』
はキャンセルされた。

おりしも新宮様 御誕生でテレビは特番放映中。
テレビの真ん前に陣取ったYO姉とキクタン。
「Rちゃん はよ来なはい!」
(3時間も座ってられるか)

「探険」添乗員さんに告げて脱出!
通りかかったCA(前はスッチー)に
「ここ出たいんですけど・・」
「どちらへ・・?」
「展望デッキ」
「再度 搭乗手続きして頂くようになりますけど・・」

そこにあったのが気が付かなかったドアを押して出してくれた。
出たとこに警備員が一人。
「展望デッキに行きたいのですが・・」
「そこの通路を左に曲がってまっすぐ行って下さい」
5mほど歩いて左折すると長い通路が続きその先にエスカレーター。
人っ子ひとりいない。

無人である。

『うっそぉ』 『何で??』

今までのあの喧噪は?
ほんとうに ここ あの羽田か?
あの たくさんの人々は・・?

不審に思いながらも半分くらい歩いたが・・
『もし ここで拉致されたら誰もわからんやろ?』
(拉致するほうも 人選ぶわ)
『もし 私がテロリストやったら どうすんの?』
(なっ 訳ないやろ)
自問自答しながらも・・・

さすがの私も心細く 不安になりテコテコ また後戻りしてせまい通路の警備員の所へ・・
「あのぉ どうして誰もいないんですか?
エスカレーターも動いてないみたいなんですけど?」

「ここは保安(チイキ?・チタイ?)ですから・・
エスカレーターは近づけば動きます」
保安だけは聞き取れたが その後なんて言ったか聞き取れなかったが 先ずは保安と言う言葉に安心して・・・

無人の長い通路をひとり トコトコ。

20061010132937.jpg

無人のエスカレーター(不気味である)
こんな写真とってたらスパイと間違われないかな(マジ 思った)

近づくと“ゴォ~~”と轟音を響かせて動きだした。
(思いがけず大きな音であった)
左折するとガラス戸の向こうに警備員がいて開けてくれた。
やっと人のいる場所に出る事が出来た。

20061010153304.jpg

出たとこに このブルーの牛が・・・
『千住博 作』(夜空の星と樹々が描かれたブルーの牛)

20061010155451.jpg

展望デッキで離着陸する飛行機をのんびり眺める。
普通こんな時間の余裕はないやろ。

20061010155510.jpg

三脚を建てて撮影していた外人さんに「プリーズ プッシュ」

小一時間展望デッキで過ごして お土産屋さんをぶらぶら。
(うっ?舞子?)(え~っ!こんな格好で歩いてるんだ)
ナマ舞子遭遇 !!
「舞子さん?・・ですよね?」
「へぇ~そうどす」

ma.jpg

おのぼりさん 本領発揮。
ナマ舞子さんをカメラに収めた。
(おおきに)

3時間の羽田探訪は終わり無事595便松山へと機上の人となる。


函館の女 ― in 北海道

  1. 2006/10/08(日) 21:02:08|
  2. ■アンビリバボーな面々
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函館での自由時間。
バスの通過地点だと言うので特別ファンではないが演歌世代である。
『北島三郎記念館』をのぞいてみようと降ろして貰った。
ところが後をみんながついて降りて来て私が先頭で入館する形になった。
入場券1,500円。
80才以上半額とある。
「誰かおるぅ?80以上半額とぉ」
私の声に「私・・・」
と保険証を手に出て来たのはM女史だった。

M女史 今回はひとりで参加していた。
(今までは妹さんか姪御さんが一緒だった)
 『後10年 負けられません』 
私はM女史に闘志を燃やした。

どう言う訳か 帰って写真を整理してみると 『探検中』 の私のカメラにM女史がよく入っている。
私ひとりのはずが 横にしっかりカメラ目線で・・・
時には満面の笑みでピースまでしている。

20061005230833.jpg

  北島三郎記念館でのショウー

金森倉庫~ベイサイト散策中に

20061005230854.jpg

絵になる車夫のお兄さんをパチリ!
この時も スカートを翻して悠々とM女史が横切っていった。

夜は『函館山の夜景』を見に・・・
ナポリ・香港・函館  世界の3大夜景だとか・・
山道で車の離合が出来ないので要所要所に棒降りがいて運が悪いときは30分から1時間待たされるそうだ。
「車の灯りはすべて消します」
(そんな山道あぶないじゃん??)
私の心配をよそに消されたのは車内灯だった(当たり前!!)

駐車スペースがバス30台と言う事で滞在時間・山頂30分。
乗降時間を差し引くと20分ほど・・
風が強いのと寒さ(10℃)
「長袖着用・首にはハンカチでもタオルでも巻いて下さい」
ガイドさんが言ったのはもっともだった。
私はポテチのスカーフをひっぺがし首に巻きその上パシュミナで真知子巻き。

暗闇でごった返す人ごみ。
カッパちゃん含む2人 迷子。
次から次に発着するバス。
時間が来ても出発出来ない私たちのバス。
バックバックで着いた場所からかなり離れて・・・
カッパちゃん達がバスに帰ってきた時には探しに行った「お世話役さん」が二次迷子。

20061008163501.jpg

20061008170747.jpg

息をのむ美しさ!
筆舌に尽くし難く 月並みであはあるが“宝石箱をひっくり返した”ような美しさ。
沖に見えるのは「イカつり舟」の漁り火。
漁り火銀座とも・・・

つ・づ・く

ペチャ!!

  1. 2006/10/07(土) 16:32:51|
  2. ■Bakoの事
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その日はお天気が良かった。
いやお天気のせいでは無い 魔がさした のだ。

この家に移り住んで10余年。
一度も試みなかった石垣のけものみち。
みかん山に行く人達が近道として登って行くけものみち。

高所恐怖症の私は石垣の上からのぞくだけで一度も下りてみようとは思ってもいなかった。
自他共に認める運動音痴で(なんであんな子や孫が出来たのか)不思議なくらいである。
多分 私のDNAは見事抹消されたのであろう。

何を思ったか(魔がさしたとしか)回覧板を届けるのに その近道を行ったのだ。
裏のみかん山をつきぬけ石垣の上に出た。
その日の回覧板はお知らせが沢山あったので ばらけないようにしっかり両手で持っていた。

石垣と土手の間の斜面をそろそろ下りて後60cmで道と言う所で足の踏み場が無い。
たかが60cm・・・飛び降りた・・・はずだった
気持ちと上半身だけが・・・跳んだ?。
気持ちとうらはらに私の両足は拒否した。
「あれっ?」

次の日
あれは回覧板持ってたからいけなかったんだ・・・と思い再度 挑戦。
60cmのかべ?
体制を整えて両手でバランスとって跳んだ。

見事に着地  
 


の・・・はずだった。
またもや私の両足は宙に浮く事を拒否ったのだ。
ご丁寧に両手をついて ほっぺたまで ぺちゃ!!
道の向こうは無人の倉庫。
繋がれて寝そべっている犬の目前へ ぺちゃ!

いつもは(いい加減に覚えんかい!)吠える犬がうなり声ひとつあげず首を傾げて後すざり。
じぃーと上から降ってきて犬目線になっている私をみている。
(実に不思議そうに)
犬と同じ体制でしばらく見つめ合った後、ゆっくり起きあがりながら

 「見んな」  

ひとこと捨てゼリフ!!




こわれもの ― in 北海道

  1. 2006/10/05(木) 14:21:20|
  2. ■アンビリバボーな面々
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『in 北海道』をまとめて表示
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そのドでかいポテトチップスに出会ったのは新千歳空港から小樽に向かう途中、昼食をとった道産市場であった。
米の10キロ袋ほどで 『期間限定』『北海道限定』 『限定』 が二つも付いている。
後先考えず飛びついた。

大阪の孫の顔が浮かんだ。
車で出かける度にコーラの大きなペットボトルとポテチを大量に買った事。
それにこのドでかさはTochi(大阪の孫)サイズやろ!
Tochiなら寮だから食べきれるだろうし・・・
「ここはいっちょTochiを驚かしてやるべ」

買ったのである。

担いでバスに乗ると先ずはみんなが驚いた。
「そがいなおおばしいもん これからどうすんの?」
「おおばしいと言うても中身はポテチやけん、軽い!」
と言ったものの 重い~軽いの問題では無かった。
パンパンでスカーフにも包めず バスの荷物入れにも預けられず(割れるのが心配)その後 後生大事に抱いてまわる羽目になる。

幾度か直接送ろうかと思ったが、箱代600-運賃2,200-
千円足らずのポテチに2,800-はないやろ・・・
それに家から送れば550-で他の物も送ってやれるし・・

と言うわけで他の土産や身のまわりの物はみんな最後の宿から送って私はポテチを担いで帰途に着いた。
帰りは直行便がなく羽田で3時間の待ち時間がある。
どうせじっとしているはずもなく・・・ポテチ抱いてウロウロするのも・・・

函館空港で泣く泣く預けることにした。
5日間、担いで廻ったポテチは空気が抜けてスカーフでどうにか結べるようにはなっていた。
係の人が「こわれものはないですか」

「こわれものですっ」

不審げに受け取って 軽さに驚いた風・・
あわてて「ポテチです」

私が入りそうな大きなビニール袋に入れ

         『FRAGILE』

松山空港で受け取った時には半分くらいにしゃげていた。

20061005153508.jpg

北海道を旅して愛媛、大阪?いつ食べてくれるん?(ポテチのつぶやき)

早速いりこ味噌や干物や普段Tochiが買わないような物と一緒に送った。
大倉山ジャンプ台で買ったこれも『限定品』のLLのTシャツと共に・・・

Tochiからメール
[バリでかっ!!道理で中身グシャ②な訳や(笑)
Tシャツは丁度よかったわ・・]
[バリ可愛いと思うんやけど・・・]
なんとも云えない変顔で送ったTシャツを着用 シャメ付き。



つ・づ・く

私のサプリメント

  1. 2006/10/02(月) 23:29:42|
  2. ■Bakoの事
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今年の9月は忙しい月だった。
北海道旅行に始まり孫の運動会(高・中・小・保育園)・孫の南予大会・別府からMiyaちゃんが来八・中級講座開始、合間に霊場巡りの整理下調べ・北海道写真の整理・・・

今まで断った事の無い麻雀の誘いも一度断った(ごめんね)

『来年も行こうや・・』
手紙を添えてYO姉には 早々に写真を送った。

4・5日して
「良い思い出になりました。癌センターに缶詰です」
メールが来た。

キクタンに写真を持って行くと広い家にポツンとひとりでいて「家の相続書類の書き方がわからん」・・
住む人のいなくなったYO姉の家は、先日の台風で瓦が飛んだとかですっぽり網を掛けられていた。
近々取り壊されるそうだ。

お彼岸の墓参にも今年はYO姉は帰って来なかった。

YO姉もキクタンもたくさんの写真の中 笑顔の写真が一枚も無かった。
二人ともどんな気持ちで旅行していたのだろう。
それを思うと心が痛む。
この頃から私の心に秋風が忍び寄っていた。

 ----*----*----*----*----*----*----*----*

「Bako 今晩おる?」
Shin からメール。
DVDプレイヤーを抱えて来て さすが電気屋手慣れたものでテレビ台の後ろの板ぶっ壊してセットし たー子の“南予大会優勝”のDVDを見せて呉れた。
私はPCで見ようと思っていたのだが・・
「これからはDVDの時代やからな。
テレビの迫力ある画面で見ぃ」
撮影したのはhimi。
随所にhimiの思わず発した声がかすかに入っていて、それはそれで微笑ましい。
Bossの雄叫び 私の声援も入っている。

ダビングしたDVDと共にhimiからのプレゼント。
我が娘ながら心憎いことをする奴だ。
「テープじゃ無いからすり切れない」
と聞きひまあるごとに たー子の勇姿を見てあの日の感動に浸るのである。
今まで勝っても負けても泣かない動じない たー子がトロフィーを手に号泣した日。

私に元気をくれた南予大会。
私の復活の源。
私のサプリメントだ。

昼間Bossにうどんご馳走したから?・・・
こんど焼き肉でもおごったら地デジテレビが届くかな(笑)

  



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